2010年12月26日日曜日
異界と往来する者たち
「ノルウェイの森」の「僕」は「ワタナベトオル」くんなのですが
なぜ、「ワタナベ」くんなのでしょう?
渡辺氏の祖は、渡辺綱
大江山で鬼を退治した源頼光四天王の一人として有名です。
(足柄山の金太郎こと坂田金時もそう)
渡辺の地は、淀川の下流難波江の渡し口、かつて
対岸へ渡る渡船口で渡しの舟守り「渡部」が居住していました。
渡部は、船で人を運ぶ仕事に従事した人々で
その起源は古代に遡ります。
こうして、ワタナベは、対岸と往き来する人
転じて、彼岸(異界)と行き来する人
あるいは、死者と交流する人
死と再生に関与する人という意味に。
異界には、本の世界はもちろん
過去、無意識、精神世界なども含みます。
彼は、歩いて旅行すること、泳ぐこと、本を読むことが好きで
運送屋のアルバイトなどをしているとされています。
キズキの死によってアドレセンスとでも呼ぶべき機能の一部が
永遠に損なわれ、僕はたえず彷徨うことになりました。
(地理的にも、精神的にも)
そこは教養小説ですので、僕の損なわれた機能を補おう
とする人物があらわれます
まずは、寮で僕と同室だった「突撃隊」。
突撃隊は病的なまでに清潔好きで
僕の部屋は死体安置所のように清潔
死体安置所は彼岸へ渡るところなので、ワタナベと関連します。
僕が貼ったヌード写真がはがされ
「アムステルダムの運河」の写真が貼られます。のちに
誰かがいたずらに「ゴールデン・ゲート・ブリッジ」の写真に
貼り替えます。
運河、ブリッジも「ワタナベ」と関連するアイテム
最後は「氷山」の写真にとりかえられますが、その意味は後に。
突撃隊はある国立大学で地理学を専攻し
地図の勉強をしています。
問題は、「地図」という言葉を口にするたびに
彼がどもってしまうことです。
彼のアドレセンス機能も損なわれているようです。
直子がいなくなった後、彼は僕に蛍をくれます(3章末)。
蛍は水門のある小さな流れを魂のように行き来する存在
ここはとても印象的な彼岸往来のメタファーとなています。
その夏休み明けの9月
突撃隊自身も寮から、いなくなってしまいます(4章)。
いなくなった経緯はあきらかにされませんが
やはり自死(海で)したように読めます。
これまた突飛かもしれませんが
彼は緑として生まれ変わったのではないでしょうか。
そのわけはこうです。
突撃隊がいなくなったのと入れ替わりに緑が登場します(4章)。
緑は初対面のときに、こんな変なことを言っています。
「そう。夏にパーマをかけたのよ。ところがぞっとするような
ひどい代物でね、これが。一度は真剣に死のうと思ったくらいよ。
本当にひどかったのよ。ワカメが頭にからみついて水死体みたいに
見えるの。でもやけっぱちで坊主頭にしちゃったの。…」
突撃隊の頭は丸刈りでしたから
彼が水死体となり、緑に生まれ変ったと
説明しているように読めます。
こう読むと、寮の部屋の写真が「氷山」にかえられたことの意味も
明らか。氷山は死を意味しています。
緑のアルバイトは、地図の解説を書くこと
緑にとっては本当に簡単、アッという間。
こうして僕の損なわれたアドレセンス機能は
緑によってサポートされていくことになります。
ただ地図は、文章とともに記憶、想い盛る容器とされ
あまり克明なものは役にたたないとされています(1章)。
僕が「阿美寮」に行く際、直子が手紙に同封した地図と
京都の書店で買った地図の2種類が出てきますが
「魔の山」へ行く用の地図は前者という意味でしょうか。
緑=突撃隊という説は、両者の性格の違いという難点が
あります。
緑が自由人であるのに対し、突撃隊はナチだとか
突撃隊だとか呼ばれる、いささか偏狭な性格です。
突撃隊の偏狭な部分は緑の元カレが引き継いでいるのでは
ないでしょうか。緑の元カレは、緑の自由な振る舞いを認めず
なにかと彼女を拘束しようとしているので。
突撃隊=緑だとすると、彼が熱発して、僕と直子が
ブラームスの4番シンフォニーのコンサートに行くのを
邪魔したことの説明もつくのですが、これは無理筋かも。
僕は突撃隊がなくなった夏休みの間
金沢から能登半島をぐるっと旅行してまわっています。
金沢のあたりは松本清張「ゼロの焦点」の舞台
東尋坊、能登金剛・ヤセの断崖などは投身自殺が多いところ。
僕は無意識ながら、突撃隊を探しに出かけたのかも
あまりに突飛でしょうか?
緑は父親が亡くなったのち、奈良と青森に旅行に行っています
青森のほうは後で説明するとして、ここで問題は奈良。
緑は奈良で鹿と散歩したりしています
奈良の鹿は春日大社の神の使いなので
鹿をつうじて亡父と交信したのでしょうか?
この鹿はただの鹿ではないかもしれません
というのも突撃隊はいなくなる前、2枚目のセーターを買い
それがなんと、鹿の編みこみが入ったものだったからです。
突撃隊は死んで神の使いである鹿になったのかもしれません
こちらの説もなかなか魅力的です。
雨の屋上で僕は緑を抱き、びしょ濡れになります
そのときの緑の台詞はまさしく異界から生還した喜びに充ちています。
(また、異界への往還と性交渉の類似性がほのめかされています)
「ねぇ、私たちなんだか川を泳いで渡ってきたみたいよ」
と緑が笑いながら言った。
「ああ気持ち良かった」
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