2010年12月28日火曜日
ラスト・メッセージ
いよいよ「ノルウェイの森」最終回。
というか、まだまだ書きたいことはあるんですが
年内最後の更新なので結びとさせていただきます。
これまで長々と書いてきたのも
最後の謎を解くためのようなもの。
突撃隊が緑に転生したという話が飲み込めた人は
きょうの話も飲み込めんでいただけると思います。
さて最後の謎は
直子のラスト・メッセージはなにか?
「ノルウェイの森」が俗世界で現実におこったことだけを
書いているとすれば、あまり愉快な話ではありません。
直子が僕になんのメッセージものこさずに
自死してしまったことになるからです。
このままでは愛とイマジネーションの欠如
はたしてそうでしょうか?
O Freunde, nicht diese Töne!
もっとイメージ豊かな物語ではないでしょうか?
突撃隊の死と再生を認める立場からすれば
もちろん(「もちろん」は僕の口癖)
直子もなんらかの再生を遂げているはず。
この謎を解く第1のヒントは、キズキが死んだのち僕が感じた言葉。
「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」
これは、死者は生者の外側ではなく、その一部として存在している
とも読めます。
そうすると、直子はレイコさんの一部として存在していることになりえます。
第2のヒント(というより、第2以下は情況証拠という感じですが)は
玲子=レイコさんという名前。
「玲」は、玉の涼しげに鳴る音の形容。また、玉のように美しいさま
これは、彼女が音楽に堪能で、美しいことを表わしています。
直子のばあい、ナオコと表記されませんが
玲子さんはレイコさんと表記されます。
これはレイコ=霊子という意味でしょう。
宝満山には玉依姫(タマヨリヒメ)がゐますところ
玉依姫は、もともと霊が依る姫=巫女という意味
レイコさんもこの意味で、霊依女=巫女でしょう。
僕がキヅキやハツミさんと玉突きをするのも
霊(タマ)ツキと関連があるでしょうし
緑が玉子と縁があるのも、霊子(タマゴ)ということかも。
レイコさんが巫女だとすると、直子は死んだあとでも
レイコさんをヨリシロにして語ることができます。
(依り代・ヨリシロとは、神霊が依り憑く対象物のこと)
ちょうど芥川龍之介の「藪の中」の
「巫女の口を借りたる死霊の物語」のように。
すでに直子の死のまえ(10章)から、レイコさんは
直子に代わって手紙を書き、僕にメッセージを届けてはじめています。
第3のヒントは、直子とレイコの交換可能性。
直子の生前、こんなやりとりがあります。
「夜中にレイプしにくるのはいいけど相手まちがえないでね」
とレイコさんが言った。
「左側のベッドで寝てるしわのない体が直子のだから」
「嘘よ。私右側だわ」と直子が言った。
単なる軽口かもしれませんが
二人の交換可能性を示唆したものとも読めます。
第4の証拠は、レイコさんと二人で一緒に暮らしたいという直子の希望。
(レイコ)
「彼女こんなことも言ったわ。二人でここを出られて
一緒に暮すことができたらいいでしょうねって」
(僕)
「レイコさんと二人でですか?」
(レイコ)
「そうよ。」
第5の証拠は、直子が生前、レイコと一緒に半分ずつ編んだ
葡萄色のセーターを僕にプレゼントしていること。
第6の証拠は、レイコさんが直子の服を着ていること。
直子は「洋服は全部レイコさんにあげて下さい」という
謎の遺書を残します。
「変な子ね。自分がこれから死のうと思っているときに
どうして洋服のことなんか考えるのかしらね。」
とレイコさんがいうとおり、変な遺書です。
レイコさんは直子の服を着て僕に会いにきます。
「これ直子のなのよ」
「…だから私たちいつも洋服とりかえっこしてたのよ。
というか殆ど二人で共有していたようなものね」
「…レイコさんが直子の服を着てくれていることは
僕としてはとても嬉しいですね」という感じ。
他人の服を着てその人になるという方法による変身は
僕が緑の亡父のパジャマを借りたときにも起きています(9章)。
第7の証拠は、レイコの若返り。
ギターを弾いているときのレイコさんは、まるで気に入ったドレスを
眺めている十七か十八の女の子みたいに見えた。
第8の証拠は、残存記憶に従う行動という表現。
「私はもう終わってしまった人間なのよ。
あなたの目の前にいるのはかつての私自身の残存記憶にすぎないのよ。
…私はただその記憶に従って行動しているにすぎないのよ」
「私があそこを出られたのは私の力のせいじゃないわよ」
「私があそこを出られたのは、直子とあなたのおかげなのよ。…」
第9の証拠は、直子の生前の予言的なメッセージ
直子は生前、不思議なメッセージを語っています。
「これまでのものは全部処分して、これから新しく生まれ変わるの」
これは死んで再生するとの予言でしょう。
「あの人のことは私きちんとするから」
僕のことをきちんとするというのは
ラスト・メッセージを伝えるということでしょう。
第10の証拠は、まるで直子が述べているかのようなつぎのセリフ。
「私はあなたにそれを言うために寮を出てわざわざここまで来たのよ。
はるばるあんな棺桶みたいな電車に乗って」
これらの証拠からして、直子は死後、レイコさんを依り代として再生し
僕に対して語りかけていると考えられます。
(レイコ=直子)
「もうこれできちんとしたんじゃないかしら」
(僕)
「直子が死んじゃったから物事は落ち着くべきところにおちついちゃった
ってこと?」
これがエウリピデス型解決なのかソフォクレス型解決なのかを問う
重要な問いであることは前に書いたとおりです。
(「運命に立ち向かう」参照)
(レイコ=直子)
「そうじゃないわよ。
…あなたは緑さんを選び、直子は死ぬことを選んだのよ。
あなたはもう大人なんだから、自分の選んだものにはきちんと
責任を持たなくちゃ。…」
ソフォクレス型解決、すなわち神の采配ではなく
人間による自己決定であることが、その答え。
二十歳になった大人の僕に対する
自己決定と自己責任の教えでもあります。
(レイコ=直子)
「あなたがもし直子の死に対して何か痛みのようなものを感じるのなら
あなたはその痛みを残りの人生をとおしてずっと感じ続けなさい。
そしてもし学べるものなら、そこから何かを学びなさい。
でもそれとは別に緑さんと二人で幸せになりなさい。
…だから辛いだろうけれど強くなりなさい。
もっと成長して大人になりなさい。」
これが直子のラスト・メッセージ
死んでのちも、大きな愛で包み込むメッセージです。
「幸せになりなさい」
と別れ際にレイコさんは僕に言った。
「私、あなたに忠告できることは全部忠告しちゃったから
これ以上もう何も言えないのよ。幸せになりなさいとしか。
私のぶんと直子のぶんをあわせたくらい幸せになりなさい、としかね」
我々は握手をして別れます。
ここはレイコさんのギター伴奏で
山口百恵さんに「さようならの向こう側」を歌ってほしいところ。
これら直子のラスト・メッセージにより、僕は救われます。
そのことは冒頭とラストの暗と明のコントラストに表現されています。
(冒頭)
十一月の冷ややかな雨が大地を暗く染め
…フランドル派の陰うつな絵の背景のように見せていた。
(ラスト)
まるで世界中の細かい雨が世界中の芝生に降っているような
そんな沈黙がつづいた。
ラストのほうはいかにも救済的な情景です
映画「ショーシャンクの空に」の脱走成就シーンのよう。
そしてノーホエア・マンの僕は
「どこでもない場所のまん中から、緑を呼びつづけていた」。
(「世界の中心で、愛を叫ぶ」みたいですが、逆です)
どこでもない場所は、僕が二十歳のときの東京とも読めますが
少なくとも三十七歳のときのハンブルクとも読むべきでしょう。
「ノルウェイの森」が永遠に回帰する物語だとすれば
時空を超えて、緑を呼びつづけるほかありません。
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