2010年12月21日火曜日
追いかけども追いつかない物語
ギリシャ悲劇は俳優とコロス(コーラス)の掛け合いによって進行します
「ノルウェイの森」のコーラスマスターはレイコさんです。
レイコさんは僕と出会った最初(6章)と最後(11章)に
バッハのフーガをギターで弾きます。
レイコさんは僕と直子が話しをするあいだ
もう一度さっきのフーガの練習をしています(6章)。
そして直子がキズキと寝なかった困難な理由を説明する場面では
むずかしいパッセージを何度も何度もくりかえして練習して
いたりします。
このバッハのフーガの演奏はなにを意味しているのでしょうか?
フーガは、主題が次々と模倣・反復されていく対位法的楽曲
遁走曲とも呼ばれます。
このようなフーガのありようは
僕が直子を追いかけるけれども永遠に追いつくことができない
という主題を巧みに示唆しています。
(黄泉の国でイザナミがイザナギを追いかけるのもやはり遁走曲風)
僕が直子と中央線のなかで再会した際
四谷駅の外に出ると、直子はさっさと歩きはじめ
僕はそのあとを追うように歩きます(2章)。まるでフーガのように。
そして直子は言います
「まるで自分の体がふたつに分かれていてね、追いかけっこをしてる
みたいなそんな感じなの。
…ちゃんとした言葉っていうのはいつももう一人の私が抱えていて
こっちの私は絶対にそれに追いつけないの」
突撃隊がくれた蛍のエピソードのラストはこうなっています(3章)。
「蛍が消えてしまったあとでも、その光の軌跡は僕の中に長く
留まっていた。目を閉じたぶ厚い闇の中を、そのささやかな淡い光は
まるで行き場を失った魂のように、いつまでもいつまでもさまよい
つづけていた。
僕はそんな闇の中に何度も手をのばしてみた。指は何にも触れなかった。
その小さな光はいつも僕の指のほんの少し先にあった。」
もっと昔、僕が若く、その記憶がずっと鮮明だったころ、僕は直子について
書いてみようと試みたことが何度かある。でもそのときは一行たりとも
書くことができませんでした(1章)。
蛍の比喩はこの物語のありようを実に詩的に表現しているわけです。
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