2010年10月14日木曜日
自由と逸脱のあいだ
シドニー小林さん、ナイスなコメントありがとうございます。
「経営者の言い分にも一理あるように思います。」というのは健全なバランス感覚にもとづいていると思います(水嶋くんには「忠実な執事」でいてほしかったというメイちゃんの意見は措くとして)。
サッカーのオフサイド、ゴルフのハンディなどのルールがなければゲームがおもしろくないという「フェア」プレイ精神に通じるような。
最高裁事案でも名古屋高裁は不法(違法)としており、判断が分かれています。
(司法判断なのに上級審と下級審の判断が異なるのはおかしいといわれます。
これは期待のしすぎ。人間のやることですから。
司法判断は論理に拘束される傾向が強く、国会の判断よりブレが少ないとはいえます。)
憲法22条の定める職業選択の自由の保障は、憲法29条が定める財産権の保障とともに経済的自由権と呼ばれています。
日本国憲法の保障する思想・良心の自由(19条)、信教の自由(20条)や集会・結社・表現の自由(21条)などの精神的自由とは性質が異なると一般に理解されています。
平たくいうとお金の問題なので、他の人権との関係でより制約を受けることはやむをえないというわけです。
憲法も「公共の福祉に反しない限り」とか、「公共の福祉に適合するように」と留保しています。
こうして職業選択の自由は原則として保障されるものの、他の人権に比べ制約を受けることがあるという一般論がみちびかれます。
問題はそれから先で、「制約」はどこまで?ということになります。
「自由競争の範囲を逸脱するかどうか」という抽象的な基準が立てられていますが、その具体化には各自の価値観が強く投影されてしまいます。
自由競争の範囲を広くとりすぎると弱肉強食、生き馬の目を抜く殺伐とした経済社会になりかねません。
やはりオフサイド、ハンディなどの健全なルールのもとフェアな競争であってほしいと思います(「自由競争の範囲内」を「公正な競争の範囲内」という表現に改めたいところ)。
なお、これまでの議論は「憲法の私人間適用」という論点を踏まえなければなりませんが、それはまた。
※この機会に、コメント欄について一言。
このブログは落合さんに立ち上げてもらいました(最近、忙しくて執筆時間がとれないようですが)。
落合さんはあったほうがいいだろうとの考えで、コメント欄を設けてくれました。
これに対し私たちは、コメント欄はなくしたほうがいいと意見を述べました。
法律事務所は100人のお客さまがいれば、100人の相手方が。
なかには当事務所のやり方が気にいらない方もいて、悪意あるコメントが寄せられることがありえます。
こうした理由でなくそうとしていた矢先、好意的なコメントが寄せられました。
そうこうするうちに機会を逸して今日まで来ているところです。
かくてコメント欄の存続はみなさまの善意に支えられています。今後ともよろしくお願いします。
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