2010年9月22日水曜日
不変の愛を誓うとき
クイズです。なんのことをいっているかわかりますか?
その手順はとても簡単である。はじめに,ものをいくつかの山に分ける。もちろんその全体量によっては,一山でもよい。次のステップに必要な設備がないためどこか他の場所へ移動する場合を除いては,準備完了である。一度にたくさんしすぎないことが肝心である。多すぎるより,少なすぎる方がましだ。すぐにはこのことの大切さがわからないかもしれないが,めんどうなことになりかねない。そうしなければ,高くつくことにもなる。最初はこうした手順は複雑に思えるだろう。でも,それはすぐに生活の一部になってしまう。近い将来,この作業の必要性がなくなると予言できる人はいないだろう。その手順が終わったら,再び材料をいくつかの山に分ける。そして,それぞれ適切な場所に置く。それらはもう一度使用され,またこのすべてのサイクルが繰り返される。ともあれ,それは生活の一部である。(Bransford & Johnson,1972)
こたえは「洗濯」。
キー概念をあらかじめ把握していないと、だれもが知っていること(洗濯)であっても理解がむずかしい(とりわけ、さきに山の写真などみせられたときには、推理は別の方向へ行ってしまいます)。
民法もそんな感じです。
民法のキー概念は「約束は守ろう」。
そのようにいわれれば、子どものころからいわれてきたことですからわかりますよね。
ところが民法には「約束は守ろう」とはどこにも書いてありません。
のっけから、「私権は、公共の福祉に適合しなければならない。」「権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。」「権利の濫用は、これを許さない。」などと定められていて(第1編 総則、第1章 通則、第1条)、民法を学ぼうとする意欲をくじくしかけになっています。
つづいて、「第2章 人」、「第3章 法人」、「第4章 物」と一般人を撃退する強固な砦がつづき、その後にようやく約束ごとにかかわる「第5章 法律行為」が登場します。
しかし、そこでも民法は素直でありません。
「公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする。」(90条)、「相手方と通じてした虚偽の意思表示は、無効とする。」(94条1項)、「意思表示は、法律行為の要素の錯誤があったときは、無効とする。」(95条本文)だとか、「詐欺又は強迫による意思表示は、取り消すことができる。」(96条1項)などと規定しています。
なにをいっているのかわかりますか?
これらの定めは「約束を守らなくてもよいばあい」を列挙しています。
じゃ約束を守らなくてもよいのかというとそうではない(ややこしい)。
このようないくつかの例外をのぞいて「約束は守ろう」ということ。
つまり、原則は「約束は守ろう」。
そのように裏からいっているわけです(わかりにくい)。
指きりげんまんの「指きり」は遊女が客に愛情の不変を誓う証として小指を切断したことに由来(「龍馬伝」でお元・蒼井優が内蔵太・桐谷健太に指きりをしなかったのは芸妓だったせいか?それとも?)。
やがてこの「指きり」が一般にも広まり約束を必ず守る意味へと変化したとか。
不変の愛を誓うとき「大洪水と大地震と惑星衝突…のばあいはちがうけど」とか言われても、愛は伝わりませんよね。
やま
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