秋田駒に登った日は、盛岡まで戻り、駅前のビジネスホテルに泊まった。盛岡はいま人気の街である。ニューヨーク・タイムズ紙により「2023年にいくべき52ヶ所」の1つに選ばれたからである。世界中の街のなかから選ばれたのだから、すごい。
選者によればこう。
「僕が初めて盛岡を訪れたのは、2021年の春、しかも午後の時間帯だけだった。
が、この盛岡という街は、衝撃的だった。思いがけなく生き生きとした街で、川や山々の自然が、散策にぴったりな街中の景色に美しく溶け込んでいる。おいしいスコーンやコーヒーもある。最高の街じゃないか。」
賛成である。地元料理屋に入れば、期待にたがわずうまい。カウンターの反対側には、やはり福岡からきたおじさんが陣取っていた。こんなに遠くなのに福岡県民密度が高い。おじさんは花巻や遠野を旅してきたという。福岡県民はおいしい景観や味に目がなく、盛岡までの距離感など屁でもないのだ。
店をでれば、駅のすぐ東側を北上川が悠然と流れている。その名も開運橋にたたずめば、北西に岩手山が美しく暮れなずんでいる。
やわらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに 石川啄木
私が訪れたのは秋だっだが、タイムズ紙の記者が訪れたのは春だったので、きっと柳あをめる季節だったろう。啄木と気分は真逆であるが。
明日はいよいよ最終日、姫神山(1124m)をめざす。
翌朝、盛岡駅からJRではなく、いわて銀河鉄道に乗る。盛岡-八戸間の新幹線開通に伴い第三セクターとなった。社名はもちろん宮沢賢治の童話作品から。残念ながら、日が昇ったばかりであるので、銀河鉄道の朝である。
はじめはビル街を走っていた。しばらくして西側の展望が開けると、北西に岩手山の勇姿がみえた。大きい。きのうは終日雪雲を冠していたが、きょうは山頂までピーカンだ。
今度は東側をのぞむと、姫神山だ。東西に日本百名山と二百名山が並びたち、まことに雄大な景観だ。車中からは確認できなかったが、東南にはこれまた百名山で、遠野物語にも登場する早池峰山がみえるはずだ。
このような景観は東北人の語りぐせを刺激せずにはおかない。遠野の人でなくても何か語りたくなる。例にもれず、「岩手山と姫神山の夫婦別れ」という伝説がある(八幡平市 鹿角街道WEBより)。
岩手山は男ぶりのよい神様で、姫神山と夫婦になったが姫神山はさほど美しくなかったので、岩手山は早池峰山を側室にした。このことを知った姫神山はやきもちをやく日々でした。耐えかねた岩手山は姫神山を追い出すことにし、その役をオクリセンという家来に申し渡したが、姫神山は遠くへ行こうとしなかった。オクリセンは板ばさみになって困ったが、姫神山に同情してしまい、北上川をへだてたばかりの所に座らせた。岩手山の怒りは凄まじく、命令にそむいたオクリセンを呼びつけて首を切り落とした。オクリセンの山のてっぺんが平たいのはそのためで、切られた頭は岩手山に食いつくようにとんでって鞍掛山になったそうな、どんどはれ。
とまれ、銀河鉄道を好摩というところで下車。そこからはタクシー。運ちゃんは話し好き、山好きだ。知らなかったが、好摩というところは本州でいちばん寒いところだそう。いわれてみれば、東西を名山に囲まれた盆地である。今朝は氷点下まで冷え込み、北海道の○○(どこだったか失念)についで冷え込んだそう。
一本杉の登山口からさっそく登り。女性登山者があっという間に追い抜いていった。昔なら負けてなるものかと追いつけ追い越していったものだが、いまそんなことをしたら脚を痛めるのがオチなのでペースをまもる。
まもなく一本杉登山口の名の由来となった一本杉に到着。ちかくを清流が流れていて、すがすがしい。
針葉樹は一本杉のあたりだけで、あとは落葉樹の森が広がっている。光がはいって美しい。
地面にはドングリが一杯落ちている。豊かだ。ここらへんもこれだけ豊かであればクマもお腹がいっぱいだろう。
ざんげ坂の急登を登りきると五合目だ。ここからは尾根筋にとりつく。木漏れ日を受けた木々が美しい。
木漏れ日越しの朝日がまぶしい。
七合目。樹間ごしに岩手山がみえた。快晴。きょうは絶景を期待できそうだ。