石山駅に戻る。石山駅からはバスで幻住庵(跡)へ。幻住庵(菴)は、おくのほそ道の旅を終えた翌年、芭蕉が仮住まいをしたところ。
石山駅の南には紫式部が『源氏物語』を執筆したという石山寺がある。そのやや西側にあるのが国分山である。国分というのはその昔、聖武天皇が国分寺を建立したことに由来する。幻住庵はその麓にある。
聖護院をでて、春日北通を東へむかう。浄土宗大本山・くろ谷 金戒光明寺の高麗門にぶつかる。南に下り、丸太町通を東へ向かう。鹿ケ谷通とのT字路に住友関係の施設が並ぶ。
きょうの行先は泉屋博古館(せんおくはくこかん)。T字路の北西角にある。なお、その北西には神慈秀明会がある(あす行くところと関係がある。)。
泉屋は江戸時代における住友家の屋号。博古は中国宋時代に皇帝の命により編纂された青銅器図録の名前から。
泉谷博古館は東洋美術館。住友家から寄贈された中国古代青銅器が目玉のコレクション。住友家は別子銅山の開発など銅と深い関係がある。代々、青銅器を収集したのには稼業と関連があるのだろう。
青銅器だけでなく絵画等も収集し、国宝2点を収蔵している。1点は中国南宋時代の絵画「絹本著色秋野牧牛図」。もう1点は12世紀平安時代の銅鏡「線刻釈迦三尊等銅像」。
この日のお目当ては、特別展「表装の愉しみ―ある表具師のものがたり」。
https://sen-oku.or.jp/program/2023_thebeautymountings/
ちくし法律事務所では、春夏の事務所ニュース巻頭の絵画をお願いしていることから、版画家の大場敬介・寿子先生と親しくさせていただいている。
https://keisukeandhisako.com/about.php
親交のなかで学んだことは、表装の重要性である。おなじ版画でも、表装が変わると受ける印象がガラリと変わる。
写真もおなじ。いわゆる額縁効果というやつだ。だから、それに心血をそそぐ人たちがいる。今回の展示からもそのようなことを学んだ。
八海山といえばお酒の名前と思っていたという弁護士がいた。八海山は本来、越後の標高1778mの岩峰である。柴門ふみの父親など遭難者多し。
聖護院といえば生八つ橋、あるいはカブやダイコンの名前だと思っている人も多かろう。しかし本来は、修験道の大本山のお寺の名前である。
修験道は古代、山岳宗教・古神道に仏教や道教が習合して成立した。開祖は役行者。われわれ山歩きをする者にとっては、崇拝の対象である。
山歩きだけでなく江戸時代、旅人も崇拝していたようである。おくのほそ道にこうある。
修験光明寺といふあり。そこに招かれて、行者堂を拝す。
夏山に足駄を拝む首途(かどで)かな
聖護院の開山は園城寺の僧・増誉。熊野で修験の修行をおこなっていた。白川上皇が熊野御幸を行った際の先達(せんだつ)をつとめ、その功により本寺を下賜された。
中坊公平氏が日弁連の会長であったころ、本寺で合宿が開催されたことがあった。なんの会合だったかは忘れた。そのときの様子もまったく記憶にない。ただ、本寺で合宿したという抽象的な記憶だけが残っている。
ご本尊は修験道であるから不動明王。大日如来の化身であるから、さきほどの智積院とも根本はおなじである。
30分に1度、女性が寺内の案内をしてくれる。不動明王のいわれなどあらためて聞くと、なるほどと思う。
ご本尊などは撮影禁止、お隣の部屋のみ撮影OK。扁額の文字は研覃。深く深く追求する。自分自身を耕し研鑽する意味である。
セイレン。古代ギリシア神話に登場する海の怪物。人魚のような半人半魚の姿。美しい歌声で船人を惑わし、船を座礁させる。救急車などに使われるサイレンの語源である。
英雄オデュッセウスは、トロイア戦争を勝利に導いた。戦後、ギリシアへ帰還する航海の途中、セイレンのいる難所を通過しなければならなかった。
耳栓をすれば難を逃れられるが、人を虜にするという美しい歌も聴いてみたい。知恵者オデュッセウスは、他の船員には耳栓をさせ、自分だけ帆柱に縄でしばりつけさせて、セイレンの歌を聴いた。歌を聴いた結果、「縄を解け!」「セイレンのところへ行かせろ!」と大騒ぎになったことはいうまでもない(『オデュッセイア』)。
20世紀最大の小説といわれる『ユリシーズ』。ユリシーズはオデュッセウスの英語読みである。『オデュッセイア』を下敷きにしているから、11章には「セイレン」の話が出てくる。
舞台はオーモンド・ホテルのバー。ブロンズとゴールドの二人の女給がセイレンに擬され、男たちがその魅力に惑わされる設定である。しかし、そこはジョイスであるから、男衆もそう簡単に挫傷しない。
スタバのロゴは、もちろんセイレンの伝説を踏まえている。珈琲の香りで道行く人たちを誘惑するため、セイレンを採用したらしい。
これまでスタバにこだわりはなかった。が、この話を知った以上、その誘惑に乗って挫傷することが多くなりそうだ。耳栓ならともかく、鼻栓はかっこ悪いし。
遺産分割事件は、相続人の数・親疎と遺産の内容によって難しさが決まる。相続人の数が増えれば増えるほど、相続人どうしが親しくなければないほど困難さは増す。ときには数次相続など、被相続人が複数いらっしゃる場合もある。遺産の内容が現金だけであれば分割しやすいし、不動産だけであれば分割が困難だ。
1件目。相続人は伯母と姪2人、福岡と関東であまり交流はなかった。福岡の伯母から依頼を受けた。遺産は比較的広い土地がひとつだけ。現物分割といって、不動産を2筆に分割した。問題は分割の仕方である。相手は2等分を要求し、当方は広い道に接しているほうを狭くする案を提案した。交渉が決裂したので、調停を申し立てた。結局、当方の案が通った。
2件目・3件目。被相続人がお二人。相続人は共有している方々とそうでない方々に分かれた。どちらもめぼしい遺産は不動産のみ。これらも交渉で解決できず、調停となった。遺産を売却して、代金から経費を差し引き、残ったお金を分配した(換価分割)。争いになったのは経費のなかみ。不動産を売却するのだから、建物解体費、残置動産(家財道具)の処分費用、測量費、譲渡所得税・市県民税・税理士費用、登記費用はOKとなったが、弁護士費用はダメとおっしゃるかたがいたのでその方の分だけ控除できなかった。
4件目。相続人は5人。被相続人と懇意にしていた方が当職の依頼人。遺産は主に不動産。相続開始後、近所のクレームを受け、不動産の管理費を支出されていた。これも調停に。他の相続人は、4人のうち、1人は成年後見人が、1人は未成年後見人がついておられた。さらに1人は東京の方で、一度も出席されなかった。難しかったのは後見人の先生方。不動産を売却して分配しようとしたが、経費についてうるさく注文をつけ、代償金による解決を要求した(代償金分割)。依頼人の了解を得て、なんとか解決することができた。
5件目。相続人は妻、子二人。子の一人から依頼を受けた。交渉で解決せず、遠方の家庭裁判所に調停を申し立てた。遺産は主に不動産。不動産の価格が主な争点となった。遠方の不動産ゆえ、時価の把握が困難だった。また相手方から、新民法で新たに創設された配偶者居住権の主張がなされた。協議を重ねるうち、相手の譲歩を引き出すことができ、無事解決することができた。
福岡市や筑紫地区は不動産市場がひきしまっていて、売りに出せばすぐに買い手がつく。そして比較的高値で売れることが多い。そうでない場合に比べて、遺産分割事件を解決しやすい。現金は分割しやすい。不動産は分割しにくい。売買できれば不動産が現金に変わるわけだから、遺産分割が容易になる。
しかし逆に困難になる場合がある。未解決な事件はそんなケースだ。現物分割や換価分割ができればよい。しかし代償金分割となると、不動産の評価があまりに高いと代償金が用意できなくなってしまうからだ。このため、ある事件がいまだ解決できず調停がつづいている。解決できた暁にはまた報告したい。
ある組合員、Aさんとしよう。Aさんはある機械利用組合から機械の利用料を支払えと訴えられた。その額は約800万円である。当職はAさんから依頼を受けた。
請求にかかる機械についてAさんは一切利用していない。したがって、そのような利用料は1円も支払う義務がないと争った(これだけではなんのことやら分からない。組合は全組合員に利用義務があることを前提としていた。)。
むこうには弁護士が2名ついていて、弁護士の数だけでいえば、劣勢である。
機械利用組合というのは、農業の集団化・合理化のため行政主導で設立されたものである。農業に使う機械を個人で購入・所有するのはムダも多いので、組合で購入・所有し、みんなで利用しようという目的である。
組合の請求根拠は当初、組合規約に基づくとのことだった。しかし、規約を熟読するも、どこにもそのようなことは書いていない。
そのように指摘すると、今度は組合設立時にそのような黙示の合意がなされたと請求の根拠を変更した。
その証拠の存否を尋ねると、それを明記した規約も議事録も契約書も存在しないという。情況証拠の積み重ねで当該合意の存在を推認できるという。
組合員に対し800万円もの大金を請求する裁判を提起しながら、その根拠は情況証拠の組合せであるという。むちゃだ。
そのように反論するも、組合側もなかなかあきらめない。結局、証人尋問がおこなわれた。いまどき珍しい。本格的な証人尋問はコロナ後、初ではなかろうか。
尋問終了後、裁判長から心証開示があった。当方の勝ちだという。組合側はそれでもあきらめなかった。往生際が悪い。
最終準備書面を提出することになった。心証開示の結果からすれば手を抜いてもよかったが、心血を注いで説得力のある自信作を完成させた。21頁の大作だ。
双方、最終準備書面を提出し、結審。判決日の予告がなされた。
・・・それから数日経って、山を歩いていると、組合側の弁護士から電話があった。和解したいという。最終準備書面の説得力のなせる技であろうか。その旨Aさんに連絡をしたところ、和解するとの了承を得た。
和解内容は、もちろんこちら側の全面勝訴である。めでたし、めでたし。
鳴子御殿湯駅まで歩いてJR陸羽東線に乗る。鳴子温泉駅で下車。鳴子峡まで歩くが、紅葉はまだまだ(10月上旬ゆえ)。
駅に戻り、陸羽東線を東へ向かう。途中、堺田という駅がある。駅をおりれば芭蕉が泊まった封人の家がある。
・・・やうやう(あれ?パソコンが固まって動かなくなった。しばらくして回復。)として関を越す。大山を登って日すでに暮れければ、封人の家を見かけて宿りを求む。三日風雨荒れて、よしなき山中に逗留す。
蚤虱馬の尿する枕もと(のみしらみうまのばりするまくらもと)
さらにJRでいくと赤倉温泉駅がある。そこからおくのほそ道の旅の最大の難所、山刀伐峠(なたぎりとうげ)をめざす。名前だけでも恐ろしい。
時間の関係で、登山口までタクシーを利用し、そこから峠まで往復する計画だった。10分ほどしてずんぐりした体格の青年の運転するタクシーがやってきた。おくのほそ道の記述が頭をよぎる。
あるじのいはく、これより出羽の国に大山を隔てて、道定かならざれば、道しるべの人を頼みて越ゆべきよしを申す。「さらば」といひて人を頼みはべれば、究きょうの若者、反脇指(そりわきざし)を横たへ、樫の杖を携へて、われわれが先に立ちて行く。
青年運転手によると、山刀伐峠は登山口から峠までを往復しても悪くないが、やはり尾花沢まで抜けたほうがいいという。しかもタクシー代は登山口までの往復料金にまけてくれるという。
青年の好意に甘えて、そうすることにした。登山口ではスマホで写メを撮ってくれた。そうしていると、驟雨がやってきた。
クマがでるという。運転手はクマ脅しの道具を貸してくれた。残念ながら、おくのほそ道の旅のように、道案内まではしてくれないらしい。
おくのほそ道の記述にたがわず、深山幽谷、樹齢数百年と思われるブナの美林がつづいていた。そこを九十九折りに登っていく。深閑としている。かすかな異音にクマではないかと怯える。他に誰も人はいない。
・・・あるじのいふにたがわず、高山森々として一鳥声聞かず、木の下闇茂り合ひて夜行くがごとし。
ようよう峠についた。やはり人はいない。東屋のほか、子持ち杉、子持ち地蔵尊が祭られている。温泉街で買った弁当、それとミカンを食す。鳴子温泉で買ったのに、ミカンは熊本県産である。くまモンのマークがついている。
食べ物のにおいにクマが寄ってくるといけないので、そそくさと食べ終わる。一服することもなく、尾花沢(最上)側へ降りていく。・・・そろそろ山の中腹かと思うころ、驚いて跳ね飛んだ。人生で最長不倒距離を跳んだ。
なんと、300キロはあろうかという成獣のクマが昼寝していた。クマが寝るのであれば、うつ伏せであろうが、仰向けに寝ていた。まるでくまモンのイラストのよう。死んでいたのかもしれない。慌てて逃げ出したので、生死の確認はできなかった。
転がるようにして坂を駆け下りた。タクシーとの待合せ場所についた。ひゃーたすかった。芭蕉の記述以上に怖い思いをした。ふうー。
・・・雲端につちふる心地して、篠の中踏み分け踏み分け、水を渡り、岩に躓いて、肌に冷たき汗を流して、最上の庄に出づ。かの案内せし男のいふやう、「この道必ず不用のことあり。恙なう送りまいゐらせて、仕合はせしたり」と、喜びて別れぬ。後に聞きてさえ、胸とどろくのみなり。
あのクマは山の神だったのだろうか。この日、カメラの不具合で写真は一枚も撮れていなかった。登山口で青年運転手が撮ってくれた写メだけが手もとに残った。なんと、芭蕉の句を入れ、写真立てに入れてプレゼントしてくれた。
それにしても息もとまりそうな、不思議な体験だった。
異様な旅だったので、これまでどうしようか迷っていたが、概要だけでも書き留めておこうと思う。
ときは10月の連休。あの『遠野物語』の舞台となった遠野を東にのぞみながら、宮城北部から岩手に至る旅だった。遠野に天狗、河童、座敷童などの妖怪がいて、神隠しが存在するのであれば、これら地域にそれらが存在してもおかしくない。
当初は、森吉山、和賀岳、秋田駒ヶ岳という秋田の二百名山をめぐる旅を計画していた。しかし、数日前の天気予報で、予定日はいずれも強い寒気と強風が吹き荒れることが予想されていた。
実際、これらの日々に登山を強行されたかたがたのなかからは、低体温症で亡くなられたかたも少なくなかった。このことは以前にも書いた。
ぼくは登山をあきらめて、芭蕉のおくのほそ道の旅をたどることにした。おくのほそ道の旅は80%くらいはたどることができていた。残るは数カ所。
なかでも難所は、尿前(しとまえ)の関から山刀伐(なたぎり)峠を越えて尾花沢までのルートだ。芭蕉も苦労したらしい。おくのほそ道きっての難ルートだ。
連休の直前になっての転針であるから宿の確保ができるか心配した。が、なぜか、鳴子温泉のある旅館を予約することができた。そのときは、予約できたことに安心してそれ以上の探索をやめてしまった。
当日は予報どおり風が強く、飛行機はなんとか仙台空港に着陸できたものの、そこから先の在来線、新幹線は乱れに乱れていた。
新幹線の古河駅から海側へ向かう路線は強風のため運休していた。しかし山側へ向かう路線は遅れながらも運行していた。途中、岩出山など、おくのほそ道で馴染みの地名などがある。
鳴子温泉駅でおり、尿前の関まで歩いた。ふるくは陸奥・出羽の境であった。そのため怪しい人の出入りを厳しくチェックする関があった。
南部道遙かに見やりて、岩出の里に泊まる。小黒崎・みづの小島を過ぎて、鳴子の湯より尿前の関にかかりて、出羽の国に越えんとす。この道旅人まれなる所なれば、関守に怪しめられて・・・。
日も暮れてきたので、あわてて宿に向かう。帳場で宿泊手続を行った。湯の種類は4種あり、温泉好きにはたまらないようだ。
部屋に案内された。・・・。唖然。壁がボロボロだ。誰かが凹ましたままになっている。寂れているなぁ。
まぁいい。温泉さえよければ。・・・。呆然。河童でもでそうで怖い。そさくさと湯につかる。
風呂のあとは夕食。食堂にむかう。・・・。なんと宿泊客はぼく一人のようだ。背筋がゾクゾクする。
部屋に戻る。風雨で、窓がガタガタとなっている。窓枠が外れそうだが、だいじょうぶだろうか。
あらためて検索していみる。その旅館の名前を入力すると、予測変換の文字が。なんと「恐怖」とか「怖い」とか。ぞーっ。
そのとき。タカタカタカ・・・。窓の外を、なにものかが走り抜けた音がした。あわててカーテンをどけて窓の外を見分する。漆黒の闇に、樹木の枝葉が揺れ、雨が窓ガラスを打っている。窓の外は切れ落ちていて、なにものかが通れる余地はない。
なんだったのだろう?天狗か妖怪か?ネコだったと信じたい。今夜、眠れるだろうか?心配しながら、すこし湿気った布団に入る。
これにより、各弁護士のスケジュール管理、事務所会議、弁護士会議、事務局会議、共同受任事件など複数弁護士・事務局の日程調整や新規相談の担当決めなどを行っている。便利だ。
本日をみると、顧客との相談や打合せのほか、U弁護士が破産債権者集会、TN弁護士が精神保健審査会、TM弁護士があいゆう電話相談、M弁護士が芝居の稽古などで外出することがわかる。
TN弁護士らのボードにはアスベスト訴訟、TM弁護士のボードにはHPV訴訟や結婚の自由訴訟などの用事が書き込まれていることが多い。
かように、ボードには相談者・依頼者の名前や、事件名、参加する団体・行事名などが多様に記載されている。
忘れるといけないから、公的な行事だけでなく、私的なイベントも書き込んでいる。つまり、プライベートもある程度、事務所内では筒抜けである。
そんなある日。U弁護士のスケジュール欄に、12月1日9時から「黒百合」と書き込みがなされた。黒百合?黒百合様だろうか、黒百合事件だろうか?
なにか不穏なにおいがする。黒歴史とか黒執事とかに連なる。花言葉には呪いというのがある。あまりよい印象ではない。
秘書さんたちの間ではさまざまな憶測が流れた。あれはU弁護士がおつきあいしている女性の名前かもしれない。きっと悪い女にちがいない。・・
きのう夕方、そうした憶測がふくらんで頂点に達した。そしてついに、真相があかされた。「ああ、あれ? あれは山小屋の名前。」。えーっ。
黒百合は岳人の間で人気の高山植物である。他の高山植物のように、どこででも出会えるというものではない。希少価値が高いのである。
ここで「黒百合」というのは、八ヶ岳にある黒百合ヒュッテという山小屋の名前である。天狗岳の北側稜線沿いにある。八ヶ岳を縦走する際、便利な小屋である。
https://www.yamatan.net/hut/kuroyurihutte
U弁護士はその小屋での年越しを計画していた。新年を雪山で迎え、初日の出を雪の稜線で拝したいと。
コロナ禍以降、山小屋は予約が必要である。その予約は1か月前からでないと、受け付けられない。その予約をするのを忘れないよう、12月1日9時の蘭に「黒百合」と書いておいたのである。
・・・けさ7時20分、ネット予約をすべく小屋の空き状況を確認した。すると、なんともう満室。
https://www.yamatan.net/hut/kuroyurihutte/plan?year=2023&month=12
うぐっ。岳人が考えることはみな同じ。しかも朝が早い。行動が早い。しかたがない、プランBを考えないといけない。
かくてきょうもU弁護士の孤独なたたかいは続くのだった(「孤独のグルメ」を踏まえて)。
(つづく)
オマージュ、あるいはリスペクト。文学や芸術において、尊敬する作家や作品に影響をうけ、それを踏まえた作品を創作することをいう。ただし、踏まえて創作した作品のできばえがよいものにかぎる。できが悪ければ単なるパクリである。だからといって、なにを遠慮する必要があろう。
きのうのわがブログのタイトルは「マリンワールドよ、永遠なれ」。もちろん、スーザの有名な行進曲「星条旗よ、永遠なれ」を踏まえている。
https://www.youtube.com/watch?v=V-CCQ_p6XHE
むすびの文は「海獣たちのいるところ、水族館」。これも、モーリス・センダックの代表作の絵本『かいじゅうたちのいるところ』を踏まえている。
https://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=537
そして、きょうのタイトルは、もちろん恩田陸の『夜のピクニック』を踏まえている。本屋大賞受賞作。
さいきん夕食後、街を徘徊している。1日1万歩以上を歩くためである。例の職場内のウォーキンググループ加入がきっかけ。
およそ10分で1000歩、1万歩となれば100分歩かなければならない。通勤時だけで1万歩は無理だ。足りない分は夕食後に歩く。
夜だからリスクもある。暗くて段差や溝がわかりづらい。暴漢におそわれる確率もたかいだろう。でもそれを上回るメリットもある。
街に詳しくなる。いままで通過するだけだった十字路を曲がってみたり、脇道に入ってみたり。その結果、なじみのところにでてみたり。この道はここに通じていたのかなど。
9時-5時の仕事ではない職業の人たちに敬服する。飲食業はもちろん、歯科、整体、郵便配達、高校教師・学生、役場職員などの仕事は夜8時ころでもやっておられる。仕事帰りのサラリーマンは助かるだろうけど、たいへんだろうな。
車は多い。救急車にはよくでくわすが、パトカーは昼間よりずっとすくない気がする。
ご同輩の人たちがいる。走っている人たちがいる。歩いている人たちもいる。一人で走っている人もいれば、カップルで歩いている人たちもいる。イアフォンで音楽を聴いていたり、スマホの画面をながめながらの人たちは、ちょっと心配である。
家々の窓からオレンジ色の灯りがもれている。一家団欒なのだろう。ときには肉じゃがやすき焼きのにおいが流れ出てくる。
夜の空は真っ暗とはかぎらない。ダークブルーの空にうすい雲がたくさん浮かんでいたりする。山影もくっきりみえている。冬にむかい、空気もピンと澄んでいる。よしあと3000歩だ。がむばろう。