2010年11月30日火曜日

 そんな装備で大丈夫か?



 薬師岳に登る途中、薬師峠からガレ場を登り詰めると
 薬師平という広いところに出ます。
 (9月の記事「窮するもまた楽しみ」参照)

 その中央部には人の背より高いケルン
 愛知大遭難慰霊碑です。
 
 愛知大学山岳部13人のパーティは、1963年(昭和38)1月
 薬師岳頂上を目指したところ
 豪雪吹雪の中で下山途中ルートを誤り13人全員が遭難死
 前代未聞の大量遭難となりました。

 薬師平の広さゆえ、リングワンダリング
 (同じところをぐるぐるまわる)状態となり
 薬師峠へのルートから90度外れ
 東南尾根に入りこんでしまったようです。

 パーティの中に地図とコンパス(磁石)を携行している者は
 誰一人いなかったといいます。
 
 普段の山でも道迷いはあります
 豪雪吹雪という厳しい条件での行動となるとなおさらでしょう
 地図とコンパスなしに正しい判断をすることは絶望的。

 遭難慰霊碑は雨のなか、粛然とたたずんでいました。
 碑は霊を慰めるだけでなく、われわれに語りかけてもきます。

 こういう語りに接したときに
 あすは我が身と考えるか、昔の話と切り捨てるか
 自分の人生においてもやはり重要な岐路に立っていると考えます。

 そんな装備で大丈夫か?
 自分の心につっこみを入れてみる必要があります。

 ハンセン病問題に対する対応の間違いの話をすると
 小泉首相が控訴断念して謝罪したから(2001年)
 その問題は解決済みじゃないのーという反応が一般的。

 でも同種の問題が起きたとき2度と同じ過ちしなくなったときに
 はじめて解決済みといえると思います。

 きょう・きょうのヘッドラインをみるだけでも
 気になる記事が並んでいます。

 1.新型インフル行動計画修正へ 厚労省専門家会議
 1.薬害C型肝炎、カルテなし患者が初の集団提訴
 1.HIV感染者、国内は増加傾向 短期で発症のウイルスも
 1.<鳥インフル>鶏2万3300羽殺処分へ 高病原性か 島根
 1.韓国の養豚農家で口蹄疫、農水省警戒呼びかけ
 1.ノロウイルスなど感染性胃腸炎が急増

 これらの問題に対し
 政府は、あるいは、われわれは
 ハンセン病問題の反省を踏まえて
 適切な対応ができるでしょうか?
 2度と同じ過ちをしないでしょうか?

 昨年、すわ新型インフル発生だとして
 政府・マスコミがやっていたのは
 ウイルスを国内に持ち込んだのは誰かと犯人捜し
 その関係者に土下座要求…
 感染者はまるで犯罪者かバイ菌扱い。

 それが効果があったかというと
 そうしたドタバタをあざわらうかのように
 いつのまにか国内で蔓延。 
 
 こんな状況では
 仮に私が感染者になったとしても
 正直に名乗りでたりしませんね
 家でおとなしく寝ています
 みなさんも同じ対応をせざるをえないと思います。
 
 私が感染者になったときに必要なのは
 感染してもきちんとした医療が安心して受けられるよ!
 感染してもマスコミの餌食になったり
 差別・偏見にあったりしないよ!
 というメッセージと体制です。

 それがあればちゃんと正直に名乗り出て医療を受けると思います。
 (その結果、感染の拡大も防止できることになります。)

 「新型インフル行動計画修正へ 厚労省専門家会議」
 この記事を読んでも、どうも先のメッセージは伝わりません。
 
 ほんとうに大丈夫なんでしょうか?
 そんな装備で大丈夫か?といいたくなります。 

 ハンセン病療養所には納骨堂があります
 納骨堂も犠牲者の霊を慰めるだけでなく
 われわれに語りかけてきます。

 ハンセン病問題の教訓は活かされているのでしょうか?
 同じところをぐるぐるまわり
 間違ったルートに迷いこまなければいいのですが…。  
 

 ハワイのハンセン病



 新春をハワイで過ごしませんか?
 旅行社からのDMが
 誘っています。

 ハワイといえばリゾート地
 ふつうハンセン病とは結びつきませんよね。
 でも関係あります。
 わかりますか?

 ヒントはきのうの話のつぎのくだり。
 「ピルグリムファーザーズがアメリカ大陸に来た時点で
 ニューイングランド周辺にいたインディアンのうち約90%は
 インフルエンザその他の病気により死亡した」
 
 東海岸で起きたことは当然ハワイ島でも起きます。
 19世紀半ば、ハンセン病が流行しました。

 ネイティブの人たちはハンセン病と過去に接したことがなく
 免疫をもたなかったからです。

 ハンセン病はきわめて感染力・発症力が弱い感染症
 日本で流行するようなことはありません。
 (いまでは特効薬で治癒します)

 関ヶ原の合戦で石田三成に味方した大谷吉継のように
 われわれの祖先がハンセン病に接してきたからです。

 幼少時などの濃厚接触のみにより感染するため
 昔から遺伝病と誤解されてきたぐらいです。

 ヨーロッパでも事情はほぼおなじ
 すでに旧約聖書にも記載され
 映画「ベン・ハー」のなかでも
 ベンの母と姉がイエスの奇跡により治癒する場面が。

 ただ19世紀半ばノルウエーで流行をみたことがありました。
 ハンセン病の名前の由来となった
 アルマウエル・ハンセンはノルウエー人
 らい菌を発見し、ハンセン病の原因をつきとめました。

 ノルウエーでは家庭内での隔離など穏やかな方法(相対隔離)で
 流行を収束させることができました。
 このようなやり方で十分というのが世界の趨勢となりました。

 これに対し、ハワイでは強制的な方法(絶対隔離)で臨みました。
 それでも1932年にはこのような方法をやめています。

 ところが日本では世界の趨勢に背をむけ
 1931年(昭和6)、らい予防法(旧法)を制定して、ハワイ方式に。

 絶対隔離・絶滅政策をがむしゃらに推し進めていくことになります。
 これによりおおくの感染者(治癒後も)、家族の人生が狂わされました。

 松本清張の「砂の器」(1961年)は
 患者の家族が差別・偏見をのがれるために陥った悲劇を
 描いています。
 (高校生のとき、授業をさぼって観ました。誰とだったかな~?)

 感染症とのつきあいは確かにむずかしい。
 われわれの人権感覚がためされる場面でもあります。

 でもダイアモンド※の頭脳までは必要ありません。
 (ハワイにダイアモンドヘッド※※は不可欠でしょうが…。)
 世界の趨勢に背をむけて絶対隔離政策を推し進めるような
 とんでもない石頭でなければ十分なんです。

 ※「銃、病原菌、鉄」の著者
 ※※ワイキキビーチから見える、オアフ島にある火山
 

2010年11月29日月曜日

 「銃、病原菌、鉄」に感謝しな祭?



 先週、米国はナショナル・ホリデーのひとつ・感謝祭でした。
 感謝祭の起源はポカホンタス的な説明で、つぎのとおり。

 ピルグリムファーザーズがプリマスに到着した
 冬は大変厳しく大勢の死者を出したが
 近隣に居住していたインディアンのワンパノアグ族の助力により
 生き延びることができた。
 翌1621年の秋は、とりわけ収穫が多かったため
 ピルグリムファーザーズはワンパノアグ族を招待し
 神の恵みに感謝して共にご馳走をいただいたことが始まりだとか。

 ジャレド・ダイアモンドの「銃、病原菌、鉄」
 (倉骨 彰訳、草思社、2000年)
 を読むと、そんな心温まる話ではなさそう。

 同書はピューリッツァー賞を受賞し
 朝日新聞による「この10年間の最も優れた書籍」でも第1位。

 1万3000年前、同じような条件でスタートしたはずの人間が
 今では一部の人種が圧倒的優位を誇っているのはなぜか?
   
 ダイアモンドは、地形や動植物相を含めた「環境」が原因だとします。
 より豊かな情報に接することができた環境というべきか。

 ヨーロッパ人の能力などの人種的な要因をまっこうから否定。
 ユーラシア大陸は、栽培可能な植物、家畜化できる動物にもともと恵まれ
 文明の交差点として「銃、病原菌、鉄」に接する
 環境にめぐまれていたにすぎないと。
 
 銃や鉄に関する情報ついては
 鉄砲伝来・長篠の戦いや
 最初の鉄器文化ヒッタイト(鉄器で青銅器を破るみたいな)など
 われわれも中学、高校時代から教えられてきました。
 西部劇でも銃をバンバンやる場面をなんどもみせられました。

 しかし病原菌(感染症)や、それに対する免疫力が武器だ
 というのは最近の考え方
 感染症や免疫(感染防御)に関するものもやはり情報なんですね。

 トムクルーズの映画「宇宙戦争」のクライマックスで
 侵略宇宙人たちがトムクルーズの活躍ではなく
 病原菌にやられたときは
 木戸銭返せ、と思いましたが
 H.G.ウエルズの原作からそうらしいです。
 (ウエルズの恐るべき先見性!)
 
 ピルグリムファーザーズがアメリカ大陸に来た時点で
 ニューイングランド周辺にいたインディアンのうち約90%は
 インフルエンザその他の病気により死亡したそうです。

 これではサンクス・ギビングデー(感謝祭)ならぬ
 ウイルス・ギビングデー!?
 ネイティブ・インディアンからすれば、まさに疫病神の襲来です。

 インディアン100人のうち90人を病原菌が倒したと知れば
 墓場のジョン・ウエインもびっくりするでしょう。

 16世紀日本におけるキリスト教や鉄砲伝来のとき
 日本人の90%が死亡する事態とならなかったのは
 朝鮮半島や中国をつうじて大陸とながい交渉があったおかげでしょう。

 香港型やらソ連型などその年に流行するインフルエンザの種類を
 聞くと、その思いをつよくします。

 われわれも病原菌と適度におつきあいをし
 免疫力をうまく鍛えておく必要があるのかもしれませんね。

 自己免疫を鍛えるために
 自分の懐中にカイチュウを飼っておられる藤田紘一郎さんの
 お説の受け売りですが。
 (福岡伸一さんの「生物と無生物のあいだ」、「動的平衡」については
 またの機会に)

 これからインフルエンザの流行期
 みなさまもご自愛ください。
 

2010年11月27日土曜日

 「ゴースト/ニューヨークの幻」



 きのう「ゴースト/ニューヨークの幻」をやってました。
 (20年前に映画館でもみました。)
 デミ・ムーアがイノセントな感じでかわいかったです。
 (そのころは…)

 亡くなった彼氏(サム)がゴーストとなって彼女(モリー)を守る
 というのですから、これこそ「さよならのこっち側」の話
 遺言による愛情表現なんてレヴェルをはるかに超越しています。

 インチキ霊媒師オダ=メイが、サムとのつきあいで霊能力が覚醒!?
 ゴーストの声を聞くことができ、嫌々ながらもサムに協力していく
 というドタバタが笑えます。
 (ウーピー・ゴールドバーグはこれでアカデミー助演女優賞
  ルーピーじゃないですよ)

 この霊媒師の仕事は日本の巫女(イタコ)さんとおなじですね
 霊が人を依り代(宿り先)とするわけなので
 芥川龍之介の「藪の中」に出てきた巫女さんです。
  
 進化論を否定するほどの保守的なキリスト教信仰が報じられるものの
 こういうシャーマニズムを受け入れる余地もあるんだとトリビア。

 それでもやはり黒人(アフリカ系アメリカ人)なのがポイントでしょうか?
 たしかに白人よりスピリチュアルなイメージ。

 さてリメイクの
 「ゴースト もういちど抱きしめたい」
 (松嶋菜々子さん&ソン・スンホンさん)
 の出来はどうなんでしょう?

 観た方は教えてください。
 あるいは、ご一緒しましょう(もちろん女性限定)。
  

2010年11月26日金曜日

 さよならのこっち側



 相続・遺産分割の紛争は
 長男とその他の弟姉妹とのものに限られません。

 【子のいない夫婦】
 子のいない夫婦で夫が亡くなると
 夫の両親か兄弟姉妹が相続人になります。
 遺産が自宅しかないようなばあい
 自宅を分割するわけにもいかず協議が難航します。

 【亡長男の嫁とその余の弟姉妹】
 長男とその他の弟姉妹の紛争と似ているようですが
 ちょっとちがいます。
 鈴木家の財産が他家の人間の手にわたるー
 といった意識によるものです。
 長男が生きていれば問題になりません。

 【先妻の子らと後妻】
 先妻の子らとしては父をとられたようなもの
 寂しいおもいをしてきています
 それゆえ後妻との間には感情的な葛藤がつよく
 協議が難航します。
 
 【内妻とその他の親族】
 内縁の妻の地位もふつうに認められますが
 民法が法律婚主義をとっていることから
 相続権だけはありません。
 遺言がないとまったく足がかりがありません。 

 これらのばあい
 相続紛争をできるだけ避けるために
 あるいは、小さくおさめるために
 遺言書をのこすことがのぞましいと思います。
 (遺留分の問題はまたの機会に)

 自筆証書遺言の作成は超かんたん
 1分でできます。
 
 「遺言書
 私の遺産すべてを妻に相続させる。
  平成22年11月26日
     遺言者 甲野太郎 (印)」

 以上を全部自署し、押印すればOK(民法968)。
 もちろん、妻ではなく
 いちばん親孝行の子にすべてを相続させてもかまいません。

 講演によばれたときなど
 その場で、みなさんに作っていただきます。
 (ただし、あわせて公正証書遺言の作成をお勧めします)

 なんどつくってもかまいません。
 最後につくったものが有効です。

 その日に一番親孝行だった子に全部やる
 と毎日書きなおして
 コタツの上に置いておきなさい
 と講演では指導したりします。
 (これは絶対にすべらない話です)


 「さよならの向こう側」
 
  
 山口百恵さんの歌ですが
 遺言の歌としてもぴったり。
 
 遺言には財産のこと(だけ)を書かないといけない
 ということではありません。
 
 何億光年輝く星にも寿命があること
 季節ごとに咲く一輪の花に無限の命があること
 先にいく父が無限に愛していたこと
 を子たちに教えることでもよいのです。

 いや、そのほうがずっとよいのです。
 残された子たちにとって、なによりの生きる糧になるでしょう。
 

2010年11月24日水曜日

 カインの末裔の遺産相続



 すみません、更新はまだかとDMいただきました。
 今朝は8:20からドクター面談が入っていたので
 (交通事故の後遺障害について)
 遅くなりました。 

 さてカインの末裔である
 われわれの遺産相続の話のつづき。

 民法の定める相続制度は共同相続=分割相続
 配偶者を別格として
 被相続人(亡くなった人)の子は、兄弟姉妹みな平等扱いです。

 これを民法は
 相続人が数人あるときは、相続財産は、その共有に属する
 各共同相続人は、その相続分に応じて被相続人の権利義務を承継する
 子が数人あるときは、各自の相続分は、相等しいものとする
 などと定めています(898~900条)。

 原則として長子だけが家督をつぐ
 戦前の家督相続制度とはちがいます。

 個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して
 相続法を制定しなければならないとする
 憲法24条の要請によるものです。
 
 共同相続は「自分の生活は自分でめんどうをみる」
 自己責任の考えにつながっています。

 この点、家督相続が戸主による親族の扶養をともない
 共同体的な拘束のある制度であったのとちがうところです。

 共同相続は日本の現状にもあっているように思います。

 亡父はサラリーマンで、遺産は自宅と預貯金のみ
 配偶者、子2人もサラリーマンか専業主婦という
 標準的な家庭のばあい
 一般的には妥当な結論がみちびかれます。

 もともと家督相続は江戸時代の武家の相続法に由来するもので
 現代の日本に武士はいませんから、その方面の必要性はありません。

 でも長男が実家で両親と同居して家業(酒屋など)を守り
 他の弟姉妹が東京・大阪へ出て行ってしまっているようなばあい
 平等分割ではどうかな?
 というケースがないではありません。

 特段このような事情はなくとも昔ながらの慣行で
 長男がすべて相続すべきものという考えの方もおられます。

 ですが、ことは制度論です。
 どのような制度にも一長一短があります。
 
 1つの制度ですべての案件をうまく解決することは不可能
 100件のうち70~80件をそこそこ解決できればOKです。

 残りの20~30件は遺言などを利用して
 うまく承継していただくことを予定しています。

 とはいえ
 これらの事案で遺言書が作成されていないこともままあります。
 (へたに遺言のことをきりだすと、「俺を殺すきか!」などと
 叱られたりしますから)

 そのようなばあい
 両親と同居し家業をついでいた長男としては平等分割に不満
 これに対し、他の兄弟姉妹は平等分割を要求したりします。

 特別受益や寄与分といった調整制度はあるものの
 納得をえられないこともあります。

 本人たちで協議してもまとまらなければ
 ①家庭裁判所で調停
 それでもまとまらなければ
 ②家庭裁判所裁判官が審判
 という手続きになります。

 申し立てをすると1か月後くらいに
 第1回期日の呼び出し。

 福岡家裁は中央区大手門のバス停の真ん前
 エレベーターで4階へ
 書記官室で受付をします。

 申立人控室と相手方控室にわかれて待機
 申立人側から順次、個別に事情を聴かれます。

 当事者どうしの協議でまとまらなかったものが
 調停だとまとまることがあります。
 なぜでしょう?

 当事者だけで話すと
 カインの末裔であるわれわれは
 どうしても妬み・憎悪などの感情にとらわれてしまいます。

 ところが
 調停委員という第3者を間にはさむことで
 これら感情をむきだしにすることがはばかられる空気が。

 こうしてどちらかというと理性的な話ができ
 調停がまとまることになります。
 
 これがカインの末裔として
 妬み・憎悪などの感情にとらわれがちなわれわれの性(さが)と
 調停制度の肝です。
 

 海幸と山幸



 最近、この種の紛争が増えているんでしょ?
 姉弟間の遺産分割調停にあたり
 お客さまに訊かれました。

 よくいわれます。
 でも兄弟姉妹のあらそいは昔からあったはず。

 祖母山の天気からすると
 豊玉姫と玉依姫の姉妹仲はよいようです。

 しかし
 豊玉姫の夫、山幸と海幸の兄弟喧嘩は
 海幸が山幸を攻め寄せるところまで激化。

 豊玉姫姉妹の父・海神の援助で山幸は勝利し
 海幸が服属することになります。
 (海幸は隼人の祖先だとか。ほんとうでしょうか?)

 喧嘩のきっかけは
 海幸が貸した釣り針を山幸がなくすというささいなもの
 現代の兄弟喧嘩とそうかわりません。

 事情は人類最初の兄弟もおなじ。
 兄弟は、エデンの園をおわれたアダムとイブの息子たち
 カインとアベル。

 カインは農耕人、アベルは放牧人。
 カインは作物をアベルは羊を神に捧げるも
 神はアベルをえこひいき。

 嫉妬にかられたカインはアベルを殺害。
 (当然のこととして、人類最初の殺人事件)
 カインはエデンの東、流離の地に追放されてしまいます。
 (エデンの東に刑務所があったのでしょうか?)

 この旧約の物語に取材したのが
 ジョン・スタインベックの小説「エデンの東」

 ジェームス・ディーン演じる映画のほうが有名ですが
 テレビドラマのほうが好きでした。

 舞台は、19世紀後半から第一次世界大戦に至る時期の
 アメリカ合衆国カリフォルニア州サリナス

 物語は、父親からの愛を切望する息子の葛藤、反発、和解を描いたもの。

 ここでは、弟によって母に引き合わされた兄のほうが
 衝撃のあまり軍に入隊して前線へと向かい、戦死(旧約とは逆)。

 最近ではジェフリー・アーチャーによる「ケインとアベル」。
 こちらでも、アベルの手によりケインに経済的破滅と死が。

 ことほどさように
 兄弟喧嘩というのは普遍的な現象でしょう。
 殺人にまでいたるものは少数だとしても。

 古事記には姉弟喧嘩もあります。
 高天原を追放されたスサノヲが
 アマテラスが治める高天原へと登っていくと
 アマテラスはスサノヲが高天原を奪いに来たのだと思い
 弓矢を携えて彼を迎えたとされます。

 兄弟姉妹の間における紛争は
 遺産相続が一般的。

 ともすれば財産の分割だけに関心がむけられがちですが
 実際にそこで隠れた問題となっているのは
 兄弟姉妹間の葛藤、親に愛されなかったという感情
 だったりします。

 財産問題だけに目を奪われていては
 真の紛争解決ができません。

 民法906条も
 遺産の分割は、遺産に属する物又は権利の種類及び性質
 各相続人の年齢、職業、心身の状態及び生活の状況
 その他一切の事情を考慮してこれをする
 と定めています。

 映画「エデンの東」のラストでは
 父が息子を必要としているというメッセージを伝えることで
 キャルの心の救済と父子の和解が成立。

 お隣の国どうしの兄弟喧嘩も
 なんとかうまく和解してほしいと願います。
 

2010年11月23日火曜日

 ヒメシャラ~祖母山の樹~



 祖母山中を歩いていると
 あちこちに目をひくオブジェが…
 とおもいきや
 ヒメシャラ。

 ほんとうに惹きつけられる樹影です。
 山中あちこちに床柱がたっているような。
 山の神の床の間でしょうか?
 
 ヒメシャラは姫・沙羅。
 沙羅は、あの沙羅双樹の沙羅。

 平家物語の冒頭に

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす
 驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し
 猛き人もついに滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ

 と出てくるやつです。
 (再来年の大河は平清盛)

 日本では沙羅はナツツバキのこととされています。
 (インドではちがうようです)

 お釈迦さまの入滅の舞台にふさわしい
 おごそかな雰囲気をかもしています。 

 ナツツバキより葉も花も小さいため「姫」沙羅。
 でも樹はごらんのとおりの大きさです。

 樹皮がすべすべしているためにサルスベリとも呼ばれます。
 さわるとひんやりとします。

 ふつう百日紅がサルスベリと呼ばれてますよね。
 考えてみれば
 百日も紅いきれいな花をさかせる美人に
 猿もすべるような近寄りがたい女とあだ名をつけるのは
 いかがなものでしょう?

 宝満でもみられるリョウブの樹もにていて
 やはりサルスベリと呼ばれることがあるものの
 ヒメシャラの方がお肌のすべすべ感が強いようです。

 豊玉姫がお肌のケアを怠らないせいでしょうか
 それともヒアルロン酸の多寡でしょうか? 

 そういうヒメシャラですが
 パイオニア的な性質を持ち
 やや荒れた森林によく出現するのだとか。

 ほろびの美をたたえた花をさかせ
 おごそかな雰囲気をかもし
 すべすべのひんやりとした肌をもち
 しかもパイオニア精神をもつ…。

 「ほれてまうやろ~」
  
 

2010年11月22日月曜日

 祖母山



 きょうは小雪

 週末は、お仲間4人で祖母山(1756m 大分・宮崎県境)
 よいお天気でした。

 20日(土)
 博多→大分→緒方→尾平登山口→川上渓谷散策→ほしこがイン(泊)

 21日(日)
 ほしこがイン→尾平登山口→川上渓谷→黒金尾根→天狗の岩屋→
 山頂(昼食)→九合目小屋→馬の背→宮の原→尾平登山口→
 ほしこがイン(入浴)→緒方→大分→博多

 紅葉は残念ながら盛りをすぎていました。
 またことしはカモシカの鳴き声を聞くことができず。
 それでもさすがモミ・ツガなどの原生林
 渓谷・断崖・岩場などの自然を満喫。

 ほしこがインでは独特のもてなしを受け
 天狗岩ふきんでは自称ヨンさまをふくむ
 韓国人グループと交歓しました。

 なぜ祖母山なのか?
 とうさん、かあさんではなく。

 そのわけは
 祖母山が神武天皇の祖母さん
 豊玉姫(とよたまひめ)をまつることから。

 豊玉姫は宝満山におわす玉依姫の姉
 海神(わたつみ)の娘です。
 海神の娘たちがなぜか山の神になっておわします。

 豊玉姫はまたあの海幸、山幸のうち
 山幸の妻。
 海神がなぜか山幸に味方したんですね。

 なんらかの歴史的事実を踏まえているのか
 それともなんらかの比喩的表現なんでしょうか?
 (解明は研究者やファンにおまかせします。)

 豊玉姫と山幸の子がウガヤフキアヘズ
 なんと玉依姫の夫です。
 つまり、玉依姫は妹であり、また息子の嫁。
 姑嫁でもあるんですね。

 憲法24条1項は
 婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し
 夫婦が同等の権利を有することを基本として
 相互の協力により、維持されなければならない
 と定め
 両性の合意のみで婚姻が成立することを宣言しています。

 ただし
 同条2項は
 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに
 婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては
 法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して
 制定されなければならない
 とも定めています。

 この「法律」が
 民法の「親族」・「相続」編です。

 民法734条1項本文は
 直系血族又は三親等内の傍系血族の間では
 婚姻をすることができない
 と定めています。

 原則として両性の合意のみで婚姻が成立することの
 例外規定です。
 インセスト・タブーにもとづくもので
 これに反するものが近親婚と呼ばれています。

 近親婚・近親相姦の悲劇で有名なのは
 オイディプスコンプレックス(byフロイト)の由来
 テーバイのオイディプス王。

 国に災いをもたらした先王の殺人犯を追及したところ
 それが実は自分であり
 さらに母と交わって子をもうけていたことを知り
 自ら目を潰し、退位。

 ヨーロッパの王室が近親婚のため
 血友病に悩まされていたことも知られています。

 民法734条1項本文の定める
 直系血族の間とは
 親子間、祖父母孫間。

 三親等内の傍系血族の間とは
 兄弟姉妹間、おじおば・おいめい間。
 父母1親等 兄弟姉妹2親等 甥姪3親等
 なので(親等の計算 726条)。

 玉依姫とウガヤフキアヘズは
 おば・おいの関係ですから
 民法によれば婚姻できません。

 もっともことが皇位に関することだとすれば
 国会の議決した皇室典範の定めによります(憲法2条)。

 この意味でも
 民法は市「民」の「法」なんですね。

 われわれは仕事がら
 姉妹ときけば、すわ姉妹喧嘩か?
 姑嫁ときけば、すわ姑嫁バトルか?
 と心配してしまいます。

 豊玉姫と玉依姫のばあい
 姉妹×姑嫁なのでさぞや…。

 宝満山=玉依姫びいきの僕としては
 どんなあつかいを受けるものやらと不安でしたが
 雲ひとつないド快晴の大歓迎を受けました。
 ありがとうございました。

 (以上、古事記等の記載によります。なので
 史実とちがうなどのご批判はなしということで)
 
  

2010年11月20日土曜日

 愛敬の岩~宝満山の祈り~



 愛敬の岩
 恋占いの岩

 キャンプ場から女道をたどり
 大石方面に道を分ける分岐の
 まっすぐ奥にあります。

 目隠しをして歩き
 無事に愛敬の岩にたどりつけば
 恋がかないます。

 竈門神社の解説板が立っています。

 ん?
 この話、どっかで聴いたことがある…。

 そう、京都清水寺上がる
 地主神社にもズバリ「恋占いの石」がありますね。
 こちらも縁結びの神様

 どちらがオリジナルなのか?
 知りませんが
 九州人には愛敬の岩のほうが霊験あらたかかも?

 え、私が無事に愛敬の岩にたどりついたかって?
 「個別の事案については
 答えを差し控えさせていただきます。」
 
 

2010年11月19日金曜日

 25の焦点



 きのうNHKブラタモリで
 タモリが旧岩崎邸をブラついていました。

 番組のおわりのほう
 タモリがベランダから外をみると
 旧岩崎邸の雰囲気をこわす
 近代的な鉄筋コンクリートの建物が写っていました。

 あれがわれわれの時代の司法研修所です。
 見逃したかたは再放送か
 YouTubeの「流出」映像(これはマズイか?)などを
 をご覧ください。
 
 旧岩崎邸は上野広小路の坂をのぼり
 千代田線湯島駅をすぎて右折
 湯島天神の北側、不忍池の西側辺りにあります。

 寮が千葉県松戸市・馬橋にあり
 常磐線・千代田線を利用して通勤していました。

 (残念ながら司法研修所と寮はその後
 埼玉県和光市に移転してしまっています。)

 1984年4月~7月までの4か月(前期)
 1985年12月~86年3月までの4か月(後期)
 計8か月間通い、学び?ました。

 広大な敷地はサッカーができるほど。
 修習の余暇に試合をし
 横須賀市長選に立候補した呉東正彦弁護士に
 膝蹴りをくって(競技はサッカーなのですが…)
 息が止まった思い出があります。

 旧岩崎邸と呼ばれるのは、この邸地を
 あの三菱財閥初代の岩崎弥太郎が購入したからです。

 龍馬伝にでてくる、あの岩崎弥太郎です。

 後藤象二郎に藩の商務組織・土佐商会主任・長崎留守居役に抜擢され
 藩の貿易に従事。
 坂本龍馬が脱藩の罪を許されて
 亀山社中が海援隊として土佐藩の外郭機関となると
 藩命を受け隊の経理を担当。
 長崎の土佐商会が閉鎖されると
 大阪で海運業に従事し、三菱商会(後の郵便汽船三菱会社)を設立。
 など
 幕末・維新の激動期
 地下浪人から大商人へとチェンジしていきます。

 そんな岩崎弥太郎がナレーターをつとめる
 「龍馬伝」が放映された2010年は
 われわれ38期司法修習生の卒業25周年でした。

 加賀・片山津温泉でひさしぶりに集合。
 なぜ加賀なのか?知りませんが
 加賀は松本清張の「ゼロの焦点」の舞台です。 

 25年前の初志を再確認するとともに
 おおくの問題を抱える現状において
 今後どのように仕事にとりくんでいくのかを
 同期と熱く語り合った周年行事でした。 
 

2010年11月18日木曜日

 ひとりはみんなのために、みんなは?



 月曜は薬害エイズ事件の
 きのうは薬害肝炎事件の原告弁護団会議でした。

 こういうと、まだやってんの?
 とよくいわれます。

 薬害エイズ事件でいえば政府との和解は1996年
 ですから14年になります。

 たしかに当時厚生大臣だった菅直人さんが
 首相となって「予想外の」政権運営をしいられている
 ぐらいの時間が経っています。

 しかしエイズという病は
 今日明日に死に至る病ではなくなり
 慢性疾患となったとはいえ
 おおくの困難な問題をいまだ抱えています。

 ①治癒をもたらす特効薬がないこと
 ②症状の進行をおさえる服薬が著しく困難であること
 ③抗エイズ薬はやっかいな副作用がおおいこと
 ④感染症であること
 ⑤性感染による患者が増えていること
 ⑥差別・偏見がいまなお厳しいこと
 ⑦心理・精神的な傷に対するサポートが必要であること
 など。

 薬害被害者のばあい、つぎのような問題もあります。

 ⑧血液製剤による肝炎、肝硬変をほぼ合併してること
  その治療も難しいこと
 ⑨基礎疾患である血友病のコントロールが必要であること
 ⑩血友病にともなう整形外科疾患をほぼ合併していること
 など。

 さらに医療環境にも一般と異なる障害がおおいのです。
 患者をうけいれる医療機関が地域にまったくない
 という信じがたい状況ではなくなり
 熱心にとりくんでくれる医療関係者がふえたとはいえ。

 医療環境の整備・向上という課題解決のため
 九州の拠点病院、政府との間で毎年一回協議しています。
 
 差別・偏見の解消、薬害再発防止などの課題もあります。
 肝炎の原告らもほぼ同じような課題に取り組んでいます。

 彼・彼女らのねばりづよい運動の成果は
 薬害被害者以外の患者の利益にもなります。

 差別・偏見のない社会、薬害のない社会は
 われわれみんなのためになります。
 
 なので、まだやってんの?
 などと冷たいことをいわないで
 心からのご理解とご支援をお願いします。
 

2010年11月17日水曜日

 事件は会議室で起きてるんだ!いや、寝てるんだ↘



 きのうから今年の司法試験合格者のかたが
 事前修習にこられています。

 事前修習は修習がはじまるまえの修習。
 われわれのころはありませんでした。

 われわれのころの合格者は年間500人で
 2年間の修習期間があり
 東京湯島にあった研修所で4か月(前期修習)
 福岡地裁民事部、福岡家裁で4か月
 福岡地検捜査・公判部で4か月
 福岡地裁刑事部で4か月
 弁護士会、法律事務所で4か月
 の実務修習を経て
 ふたたび研修所で4か月(後期修習)でした。

 それがいまは法曹増員の要請から
 合格者2000人で
 修習期間は1年間となり
 前期修習がなくなったうえ
 実務修習期間も短縮されてしまっています。

 このような現状をふまえて
 すこしでも修習の実をあげようと
 手弁当で事前修習にとりくまれています。

 世のなかから余裕が失われているなか
 法律家だけがのんびり修習するわけにもいかないのでしょうが
 それにより大切なものも失われているようにも思います。

 さて昨今の報道から
 このところよく思いかえすのは検察修習でのこと。
 (以下の話は匿名希望)

 当時、福岡での実務修習は全員で20余名程度
 3班にわかれて7~8人で
 裁判所民事・刑事部、検察庁をローテーションし
 最後が法律事務所にわかれての弁護修習でした。

 検察庁では実際に取調べを担当したり
 公判担当検事に同行して法廷を傍聴するのが主な修習でした。

 座学もあり
 覚えているのは検事正講話と検事長講話。

 検事正は福岡県で一番えらい検事
 検事長は九州で一番えらい検事です。

 なぜ覚えているかというと
 検事長講話で寝てしまい
 指導担当検事から「ぼくの首をとばす気か!」と叱られたから。

 指導担当検事は捜査や公判実務からはなれ
 修習生の指導をもっぱらにする検事のこと。

 会議室で
 検事長の前方の席左右に3~4人で座り
 私は左側の一番前(検事長より)の席でした。

 この席で寝てしまったのですから
 50人や100人の講演で寝たのとはわけが違います。
 大事件でした!

 修習担当検事に激しく叱られたのもむべなるかな。
 ごめんなさい。
 (さいわい、検事はその後も順調に出世されています。)

 私なりに弁解させていただくと
 検事正のお話に比べて検事長講話がつまらなかったのは
 否めません。

 検事正はたたきあげ
 実際に捜査を担当し現場を知っています。
 そのような体験に根ざしたお話だったので
 とても興味深く拝聴しました。

 これに対し
 検事長は試験の成績が優秀だったであろう官僚タイプです。
 制度や人事にくわしい、行政の専門家。
 当時の私にとって興味がもてる講話ではありませんでした。

 このような事情は裁判所もおなじ。
 矢口洪一さんが最高裁長官になったときと記憶していますが
 新聞の人物欄に
 「裁判官としての力量は未知数」と紹介されていました。

 その意味は、裁判官といっても
 それまでの経歴が司法行政畑ばかりで
 普通の意味での裁判をした経験が乏しいということ。

 最高裁の判断が庶民感覚からズレて
 官僚的だったりするのはこの辺に原因があります。

 (話を戻して)
 大阪地検特捜部の証拠改ざん(罪証隠滅)事件では
 最高検が前特捜部長らを犯人隠避の容疑で検挙しました。

 この判断は適切であったと思います。
 是非とも有罪にもちこんでほしいとエールを送っています。

 そんなときに頭をよぎるのが検事正vs.検事長講話体験。
 たたきあげの前特捜部長らに
 官僚タイプの最高検検事は対抗できるのか?
 ちょと心配…。
 

2010年11月15日月曜日

 YESTERDAY



宇治野みさゑ弁護士と離婚したのち3か月ほどして
A信販から150万円を支払えと訴えられました。

離婚の半年ほどまえ
元妻である宇治野弁護士が150万円を借りたとき
私が保証人になったというのです。

提出された借用証の写しをみると
署名は私のもののようでもあり違うようでもあり
ハンコは私の認め印でした。

でもまったく身におぼえがありませんでしたので
全面的に争いました。

証人として宇治野弁護士が出廷し
自宅リビングでテレビをみているときに
保証人になることを私が承諾したと証言しました。

というのは、模擬裁判での話し。

法学部の学生さんに民事裁判の実務を体験してもらおうと
九州大学、裁判所、弁護士会の共催で模擬裁判をおこないました。

シナリオは実際に手がけた事件をもとに
私が書きました。
ただし、結論をファジーにしたほうが面白かろうと
尋問に対しては自由に証言してよいことにしました。

法廷は法学部の大講堂。
裁判官役は現役裁判官3人、弁護士役は現役弁護士6人
夫と妻役は上記のとおりでした。

学生のみなさんにも裁判官の立場で判断してもらいました。
学部の先生がたもたくさん傍聴に来られていました。

おおくの人が誤解しているのですが
契約も約束のひとつですから口約束もあり。

われわれは毎日、契約書なしで売買契約をおこなっています。
契約が成立するのに、実印はおろか自署さえ必要ありません。

電気店でクーラーを購入する際などに
妻が夫名義を代筆することはよくあることです。
コンビニでは一言も発さずレジで商品を差し出すだけでOK。

承諾も契約時に必要なわけではなく
事前了解のみならず、事後承諾でもかまいません。

購入のときには知らなくとも
「ま、いっか。」と考えて使用すれば
事後承諾とみなされることもあります。

本件でも、私に保証人になる意思があったかどうかが決めて。
自宅リビングでテレビをみているときに
「ああ、いいよ。」と言ったとなれば
私の敗けです。

私は被告本人として証言しました。
そのころは家庭内別居で
なにか言ったかどうかもなにも
口もきかない状態でした…と。

判断はわれたものの
からくも勝訴することができました。
(学生のみなさんも裁判官も
私の誠実な人柄をわかってくれたのだと信じます。)

たかが模擬裁判ですが、されど模擬裁判。
心からうれしかったです。

学生のみなさんには事実認定の
難しさと醍醐味を堪能していただきました。

 山コン~宝満山のつぶやき~



 宝満山頂
 おとなりの
 おじさんパーティのやりとり

 くま:さいきん山コンつーのがはやっとるばいね。
 はち:なんちゃ、それ?
 くま:ま、山ガールとのコンペたい。
 はち:ほえ~。

 ぼく:(…ちょいちゃうな~。)
 

2010年11月14日日曜日

 樅ノ木は残った~宝満山の樹~






 40年前の大河ドラマは
 山本周五郎原作の「樅の木は残った」でした。
 主役の原田甲斐を演じたのは平幹二朗。

 江戸時代初期、仙台藩伊達家のお家騒動
 藩内の権力闘争を利用して仙台藩とり潰しを幕府が謀略。
 (宇乃と虎之助の父母は謀略の犠牲に)

 子どものころ、敵が目前に迫っているのに、なぜ
 仲間割れなんかしているのだろうと不思議に思っていました。
 でもそうせざるをえないのが人間のサガなのですね。

 集団訴訟でも加害者側から様々な分裂工作がおこなわれ
 過去、おおくの運動が分裂し力を弱めてしまっています。
 
 自然を愛し自然と生きる人生をおくっていた原田甲斐は
 権力闘争と謀略にまきこまれてしまい
 まわりから理解されず「悪人」とみなされながらも
 弁解せず(敵をあざむくにはまず味方から)
 仙台藩を守り抜く。
 (謀略の犠牲遺児宇乃と虎之助も)


 「私はあの木が好きだ」と甲斐は云った
 「船岡にはあの木がたくさんある、樅だけで林になっている処もある
 静かな、しんとした、なにもものを云わない木だ」
 「木がものを云いますの」
 「宇乃は知らないのか」宇野は甲斐を見た
 甲斐はその眼を見返しながら云った
 「木はものを云うさ、木でも、石でも、こういう柱だの壁だの
 屋根の鬼瓦だの、みんな古くなるとものを云う」
 「その中でも、木がいちばんよくものをいう」と甲斐はつづけた
 「いまに宇乃が船岡へいったら木がどんなにものを云うか
 私が教えてあげよう」
 「はい、おじさま」
  
 「この樅ノ木を大事にしてやっておくれ」と甲斐は云った
 「この木は育つようだ
 これまで移したのは枯れてしまったが、こんどはうまく育つようだ
 宇乃が此処にいるあいだは、この木を大事にしてやっておくれ」
 「はい、おじさま」

 「宇乃、この樅はね、親やきょうだいからはなされて
 ひとりだけ此処へ移されてきたのだ
 ひとりだけでね、わかるか」
 宇乃は「はい」と頷いた。
 「ひとりだけ、見も知らぬ土地へ移されて来て
 まわりには助けてくれる者もない
 それでもしゃんとして
 風や雨や、雪や霜にもくじけずに
 ひとりでしっかりと生きている
 宇乃にはそれがわかるね」
 「はいー」


 樅ノ木は
 仙台(船岡)まで行かずとも宝満にあります。

 そういえば
 ブナなどがなんかしゃべっている感じなのに対し
 寡黙な印象です。

 総じて広葉樹がおしゃべりなのに対し
 針葉樹は寡黙。

 でもモミは針葉樹なのにあったかい頼れる感じ
 (広葉樹たちとつきあっているせいでしょうか?)
 クリスマスツリーに使われるのもその辺が理由でしょう。

 ドイツのシュバルツバルト(黒い森)の黒も
 モミによるものです。

 モミの大木を抱きしめると、穏やかな気持ちになれます。
 

2010年11月12日金曜日

 鑑真の末裔



 中国がいまよりずっと貧しかったころ
 数百人の中国人が船底に隠れて東シナ海をわたり
 福岡に大量密入国した事件がありました。
 (念のためネットで検索してみましたが検出できません。
 それくらい古いはなし)

 当番弁護士として出動しました。

 ふつうは1人を担当すればいいところ
 あまりに多人数なため福岡県弁の人手がたりず
 宇美刑務所に勾留されていた3人を担当。

 刑務所は、三郡山の麓・昭和の森手前を右に入ったところ
 酷暑下、ただでさえ狭い面会室で、通訳さんとともに面会。

 私の質問を通訳さんが中国語に翻訳して質問するので
 通常の2倍の時間がかかります。

 さらに3人を担当したので6倍の時間がかかりました。
 終わったときはもうくたくた。

 蛇頭から騙された人たちで、法外な渡航料を払っていました。
 密入国者といっても騙されたかわいそうな被害者。

 「ワイルドソウル」の衛藤一家
 「山椒大夫」の安寿と厨子王のような。
 (イメージ映像です)

 どうせ強制送還するのなら
 裁判などしない(処分保留)で
 強制送還すればいいではないか?
 といいましたが、検察官は聞き入れません。

 上陸する前ならそれでいいけれども
 上陸した以上は裁判で有罪にする必要があるのだとか。
 なんという形式主義。これぞ秋霜烈日。

 裁判を受けさせるとなると
 すくなくとも2か月は刑務所に未決勾留されたうえ
 有罪となれば前科者として帰国することになります。

 蛇頭に騙されたのだから密航とは知らなかったと
 密入国の犯意を争いましたが
 あっさりと有罪(その後、強制送還)。

 そんな経験に照らし
 今回の中国船による公務執行妨害事件の対応は
 なんたることかと思います。
 秋霜烈日どころか周章狼狽。

 那覇地検は船長をなぜ処分保留で釈放してしまったのか?
 まったく解せません。
 ちゃんと国民にわかるように説明してほしいと思います。

 たとえばパトカーに自分の車をぶつけるなど
 われわれ日本国民が公務執行妨害罪でつかまったとすると
 想像を絶するくらい厳しく刑事責任を追及されます。
 公務執行妨害は権力の沽券にかかわる問題だからです。

 私のような一介の弁護人の立場からすると
 弱者とみればどこまでも厳しく
 強者とみればあっさりと腰砕け
 検察権力の運用のあり方に強い義憤をおぼえます。

 中国とむやみに争えといっているわけでありません。
 友好は友好でちゃんとしてほしいと思います。
 隣国であり2000年以上のつきあいなのですから。  

 そういえば彼ら密航中国人の1300年ほど先輩
 鑑真和上も船底にかくれて東シナ海をわたる密航でした。
 密入国ではなく密出国でしたが(「天平の甍」)
 ときの政府は大歓迎したそうです。
  

2010年11月10日水曜日

  BRIDGE OVER TROUBLED WATER



 くま:ことしは多いね。
 はち:なにが?
 くま:クマに襲われることが。
 はち:そういえば、一休さんもクマに襲われたらしいよ。
 くま:えっ!?

 いやほんと。
 京都大徳寺の塔頭が所蔵する開祖・一休宗純禅師の肖像画
 (よく教科書に載っている、すこし視線をズラせたやつ)
 これに長さ約8センチの穴(傷)が(3日)。
 
 まだ見ていない人は
 「一休さん」×「アライグマ」の2つのキーワードで
 検索してみてください。
 被害状況を横目でながめる一休さんの困った顔がけっさく。

 犯人はアライグマ。
  
 なぜアライグマか?
 ひっかき傷、足跡、遺留品等から犯人を割り出したとか。
 (遺留品は肖像画の上から見つかった柿の実。
  関西野生生物研究所の調査で
  アライグマの食べかすとみられることが分かったらしい。
  へぇ~。柿の実からね~)

 いや、そうではなくて、なぜ京都でタヌキでなくアライグマか?
 アライグマは北米原産であったところ
 私が生まれた後ころ、日本で野生化したらしい。

 アライグマの食害で日本在来種の絶滅が危惧されているとか。
 ことは生物多様性にかかわる問題で
 COP10のやらせ企画かと疑われるタイミング。

 犯人(犯グマ)逮捕のみならず
 文化財保護、生物多様性確保など
 いずれもむずかしい問題。
 
 ここは一休さんにご登場ねがい
 とんちで解決していただきましょう。
 
 でも一休さんのことだから
 「まずこの肖像画から出してくれ。」
 とおっしゃるでしょうが。

 さてその一休さん
 京の町の中へ入る橋の手前で
 ホームレスの少年が役人に
 京の町にいる母親に会いに行きたいと頼んでいるところに
 行き会いました。

 橋のたもとには「このはしをわたるべからず」という高札が。
 戦乱に家を焼かれホームレスになってしまった人に
 京の町へ入ることを禁止したお触れ書きです。

 ところが
 一休さんはその子とともに橋を堂々と渡ってしまいます。
 「はしを渡ってはいけないというから
 はしではなく真中を渡りました」と。

 これは「橋」を「端」と読み替え
 「端」じゃなく「真中」なら許されるという
 当該法令(お触れ書き)の反対解釈によるもの。

 実質的には、当該法令が
 当該状況下にあるホームレスの子どもに
 適用されるかぎりで違憲無効
 という限定合憲解釈によるものか?

 ホームレスの子どもの人権救済にとりくんだ一休さんに
 むかしから庶民は拍手をおくってきました。

 困っている人、悩んでいる人にはつらくあたるのではなく
 それを乗り越える橋を提供してほしいものです。
 
 似たような法令や事件はいまもあります。
 国境では出入国管理がおこなわれており
 これに違反して入国すれば密入国になります。

 これらの事件で 
 一休さんのようなとんちな振る舞いが
 われわれに許されているのでしょうか?
 明日はこの話題。
 

 「木暮荘物語」



 三浦しをんさんの最新刊「木暮荘物語」

 『まほろ駅前多田便利軒』
 『風が強く吹いている』
 『きみはポラリス』
 『仏果を得ず』
 『神去なあなあ日常』
 (とくに、『風が強く吹いている』は大好き。
  映画も観ました。)

 これらさわやか青春系にくらべると
 「木暮荘物語」は小暮れています。
 小暮れた木暮荘における
 生きるのに不器用な小暮れた人たちの恋愛に関する連作短編集。
 
 宮部みゆきさんの「小暮写真館」は建物が小暮れていましたが
 本作は登場人物たちも小暮れています。

 「けっこう長引いた同居でしたけど、やっとお互い、清々しますね」
 と、ニジコは言った。箸は忙しく、おかずと口を往復している。
 ニジコの顔を正面から眺め、並木は尋ねた。
 「本当に?」
 「なにが?」

 私たちの学生時代はこんな老朽木造建物がまだまだありました。
 「ヘルハウス」がその極北(ポラリスとは真逆の意味)。

 天井の破れ目から雪がちらつき、猫さえも凍死していた!
 という都市伝説すらあります(箱崎で、都市ではありませんが)。

 いまでは福岡県弁護士会をしょってたつ?
 おおくの先輩受験生が溜まっていました。

 その生態は堀良一弁護士の手になる
 『ぼくらの司法試験おもしろ受験記』に活写されています。
 (しかし、いまやこの本、アマゾンでも入手できないかも。)

 私の借家はこれよりすこしマシ。
 農家の納屋を改造したもので家賃9000円。

 福岡空港の防音対策のおかげで防音サッシがとりつけられていたものの
 窓以外のところは何らの対策もおこなわれておらず
 おおくのすき間から騒音が苦もなく部屋に侵入してきていました。
 (にもかかわらず女性が進入したという噂は聞いたことがありません。)

 その改造納屋建築物では私が合格したあと
 実力はないけど縁起だけは担ぎたい受験生が集まり
 (あいつでも合格ったのだから縁起がいい!)
 「第2のヘルハウス」と化したとか…。
 

2010年11月9日火曜日

 汗だくの裁判ウオッチング



 性的な事件で弁護人をやっていたら
 高校生の男女が裁判ウオッチングにやってきて
 傍聴席が満席
 なんちゃないふりをするのに汗だくでした。

 最近は裁判ウオッチングがさかん。
 私も何度かツアーガイドをつとめたことがあります。

 筑紫野市の心配事相談員のみなさんと
 学習会をさせていただいているところ
 改選の後などに裁判ウオッチングにご案内します。

 博多座の演目とちがい
 当日実施される事件の内容は事前にわかりません。
 
 わざわざ裁判所までおこしいただいたのに
 適切な事件が係属していなくて
 空振りということもあります。

 一度などは連続強姦事件の法廷しかなく
 女性の先生がたは強いショックを受けられたご様子で
 もうしわけない気持ちになりました。

 将来弁護士になりたい中学生たちをご案内したこともあります。
 とりわけ神経をつかい、業務上過失傷害の事件をチョイス。

 いわば交通事故なので交通教育上もいいし
 これなら不都合な真実はなかろうとの判断でした。

 ところが審理がすすむうち
 注意義務違反の内容が
 助手席の彼女による性的な行為であることが明らかに。

 審理途中で席をたつわけにもいかず
 このときも汗だくになりました。

 なお、この法廷は裁判官も検事も弁護人もみな女性。
 中学生が傍聴しているので
 放送禁止用語は婉曲な表現で尋問してくれることを期待したものの
 激しい応酬でモロな表現が続出…。
 真実追求にかける女性たちのあつき心意気に脱帽。

 私たちがこのように汗だくになりながらも
 裁判ウオッチングに力をいれているのには理由があります。

 憲法82条1項は
 裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。

 憲法37条1項は
 すべて刑事事件においては、
 被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。

 と定めています。

 公開の裁判とは、国民が自由に傍聴できる裁判のこと。
 多くの人が誤解しているのですが、裁判は自由に傍聴できます。
 弁護士の案内は必要ありません。

 憲法がこのように定める理由は2つあります。
 ひとつは、歴史的に、密室裁判、秘密裁判において
 恣意的で政治的な裁判が行われがちであることから
 これを抑止すること。

 もうひとつは、裁判は三権のひとつであることから
 民主主義の下では
 国民の参加、監視のもとで行われることが必要だということ。

 裁判員裁判のときにいつも引き合いに出される
 映画「十二人の怒れる男たち」のなかで
 ある陪審員が有罪・無罪について激論することについて
 「これが実は民主主義の素晴らしいところだ」
 と語る名シーンがあります。

 小沢事件に関する検察審査会の起訴強制や
 尖閣ビデオ公開問題をめぐり
 国民に対し司法情報を公開したり
 国民に司法判断の一部をゆだねることについて
 「素人になにがわかる」との価値観から
 より制限的に解しようという言説があります。

 こんなことを言っている人たちは
 もう一度、「十二人の怒れる男たち」を観てほしいと思います。

 ※なお「十二人の怒れる男たち」はなぜ「男たち」なのでしょう?
 当時の陪審員には男たちしかなれなかったからでしょう。
 ことは権力の一角に対する国民参加の問題ですから
 選挙権とおなじ扱いだったと思われます。
 女性が参加していればもっと激しく真実追求がなされたはず。
 ヘンリー・フォンダにはまずその点から
 ラディカルな問題提起をしてほしかったと思います(笑)。
  

2010年11月7日日曜日

 九重山・黒岳



 きのうは立冬。
 大宰府ロータリークラブのメンバーで
 九重山黒岳麓の男池から風穴までトレッキングしました。

 このコースは大学2年生のとき
 新入生歓迎登山で登ったきり
 なので32年ぶり。

 長者原~坊がツルからみて大船山よりさらに奥(東)
 なのでなかなか来る機会がありませんでした。

 久住山の周辺がガレているのに対し
 広葉樹の豊かな原生林が広がるコース。

 黒岳の名も原生林が黒くみえることから。
 悠久の時間がながれています。

 原生林とは、人の手が一度も入ったことのない森林。
 この豊かな原生林が男池の湧水をうみだしています。
 
 「黒岳水源の森」として水源の森百選に選定。
 うなずけます。

 (法律家は学生時代、民法判例百選など
 判例百選シリーズが参考書だったトラウマで
 百選ときくと過敏に反応し全部体験してみたくなります。)

 また21世紀に残したい日本の自然100選にも選定。
 これもうなずけます。

 あれ?
 もう21世紀ですよね?

 人間の寿命にあわせて100年単位で考えるせいでしょうか
 樹齢にあわせて1000年の計が必要なのでしょうね。

 風穴は黒岳・大船山の足下にあいた風のとおる穴
 ひと一人が入れるくらいの大きさです。

 32年前の記憶とちがうような…
 こんなんだったかな?

 日本の足下にはおおきな穴があいたのか
 お寒い風がいろいろ吹いていますが
 こちらは太古からつづくやわらかな風が吹いています。
  
 

2010年11月6日土曜日

 竈戸神社~宝満の祈り~



 地域事務所交流会@筑紫のプレ企画は
 ①筑紫路歴史散策(都府楼址~太宰府天満宮)
 ②筑紫路バスツアー(大野城、奴国遺跡など)
 ③宝満登山
 のなかからのチョイス。

 私の担当は③宝満登山のツアーガイドでした。
 迫田登紀子弁護士といっしょに11名様のご案内。

 西鉄太宰府駅に集合、タクシーで善導寺バス停まで。
 堤谷→百日絶食碑→紅葉谷→金の水→釣舟岩
 →キャンプ場(昼食)→山頂→中宮址→竈戸神社のコース。

 宝満山中には
 玉依姫命(タマヨリヒメ)が居わします。
 
 私はまだお会いしたことがないものの
 目撃証言と物証があります。

 山頂手前の「馬蹄石」
 「玉姫降神すれば即ち山谷鳴りて震動す。
 心蓮座に登れば即ち天華飛びて繽粉たり。」
 
 天武天皇白鳳2年(673)2月10日の辰の刻
 法相宗の僧で、宝満山の開山である心蓮上人が
 山に篭り樒閼伽の水を持って修行していたところ
 俄かに山谷が震動し何ともいえない香りが漂い
 忽然と貴婦人が現れ
 「我は玉依姫なり
 現国を守り民を鎮護するためこの山中に居ること年久し」
 と告げたとかと思うとたちまち雲霧がおこり
 貴婦人は姿を変じて金剛神となり
 九頭の龍馬に駕して飛行した…。
 
 その龍馬のひずめの跡が
 「馬蹄石」の上のくぼみ、だとか。

 法律事務所の集まりですから
 日ごろデスクワークばかりのところ
 みなさんとても元気でした。

 とくに貴婦人がたの元気なこと
 昔も今もかわりありません
 龍馬でさえ尻にしかれる勢いですから。

 ゴールの竈戸神社は
 玉依姫命が主祭神のためか
 縁結びの神様として有名。 

 20代の女性弁護士が
 縁結びおみくじを真剣にひいていました。

 おみくじというと
 「奥山に紅葉ふみわけなく鹿の
          雲居にまごう沖つ白波」
 みたいな歌が書いてあって
 山男と結婚するもよし
 鹿男と結婚するもよし
 パイロットと結婚するもよし
 海猿と結婚するもよし…
 と、ゆるキャラ?なのがふつう。

 でも竈戸神社の縁結びおみくじはちがいます。
 そんな当たったのか当たらなかったのか
 わからないような代物ではありません。

 ①年齢は5つ上か2つ下
 ②干支はイノシシかトリ
 ③星座は水瓶座か蟹座
 ④血液型はAかO
 ⑤近くにいます
 というふうに要件を列挙しています。

 彼女の年齢は2×歳ですから
 ①②の要件を充たすのは2歳下のイノシシ男しかありえません。
 さらに③~⑤の要件をしぼっていくと一人の男にいきつくか
 誰もいないか明瞭になります。

 これはおみくじとしては
 かなりの自信というか冒険というか。

 ゆるキャラ型とオンリーワン型に分類すれば
 まごうかたなきオンリーワン型おみくじ。

 法律論は、要件→効果からできていて
 ①~⑤の要件が揃ったときは→相手に対して金500万円請求できる
 という構成になっています。

 権利を行使する側からすれば要件というのはハードル。
 ハードルがおおいほど権利行使(勝訴)が困難になります。

 法律相談はいっぱんに
 相談者の主張内容がこの要件をすべて充たすかどうか
 の吟味に費やされます。

 全部の要件が
 完璧な証拠で裏付けられている!
 という案件は100%ありません。

 かぎられた証拠をもとに
 勝てるのかどうか
 将来予測はなかなかに難しい。

 私どもとしては
 「法律が要求する①~⑤の要件について
 あなたが主張する事実が存在すると裁判所が認めれば
 勝てますよ」
 と慎重ないいまわしで
 回答をすることになります。

 それでも前提がとんでしまって
 「勝てますよ」というところしか
 聞いていない、あるいは覚えていない
 方がほとんど
 裁判に負けると苦労することになります。

 このような経験に照らし
 竈戸神社の縁結びおみくじは
 いっそ潔いと思います。
 

2010年11月5日金曜日

 「静子の日常」



 敬愛する後輩(読書の師匠)の薦めで
 井上荒野さんの「静子の日常」
 を読みました。

 荒野の書いた静子?
 荒れるのか静かなのか話はどっち?と思いきや
 静かな日常だけれども心の中はけっこう揺れ動くんですね。

 静子は75歳。
 夫に先立たれて(1年と少し前)から息子夫婦と同居。

 静子は75歳だけれども、自由だ。
 バスに乗れば「どこへだって行けるわ」。
 「切羽へ」だって、それより先へだって。

 自由のために、世の不正義、バカなこと、はしたないこと
 けしからないことや猿とも闘う。

 闘うといっても声だかに騒ぎ立てるわけではない。
 嫁ともバトルなど下策なことはしない。

 嫁の感想も、「余白にいろいろと描き込んでいくイメージ」
 「義母と暮らす前は、お茶がこんなにおいしいなんて知らなかった。」

 静子は75歳だけれども、あなどれない。
 不正義と戦うのに、裁判所を利用したりはしない。 

 武器は小さな黄色い付箋や折りカゴだったりする。
 言葉も「ばか?」だけだったり。

 「でも、何かが動いたのはたしかだ。
 動くのは、動かないより、ずっといい。
 少なくとも健康的だ、と静子は思う。」

 静子のまわりでは
 何かが動き
 息子も嫁も孫娘もその他の人々も健康的になっていく。

 静子は75歳だけれども、なお成長している。
 「若くはないけど、新しい歌を知ることはまだできるんだわ。」

 静子がどこへでも行けるのは、夫が先立ったことも関係している。
 夫が生きていたころは
 いろいろあっても「切羽へ」行く勇気はなかったみたい。
 (パーラーへは行ったけれども)

 夫との記憶を整理しつつ
 好きだった人への気持ちも整理していく。
 「私はずいぶん正直になった、とも言えるわ。」

 「ほんとに、どこに行っていたのおばあちゃん」
 …
 「行ったことのないところに、行ってみてるのよ」
 静子は答えた。

 私もこんなふうに75歳になりたいと思います。

 一行ごとに楽しい小説でした。
 本屋の立読みでよい作品に出会うのも悪くない。
 でも敬愛する人から薦められてよい本で出会うのは
 最高の幸せです。
 
 ※きのうの美人弁護士は誰なのか?
 DMでさっそくお問合せを受けました。
 ご本人はおそらく希望されないでしょうから
 私の口からはいえません。
 (ま、You Tubeを探してみてください。
 ひょっとすると、流出しているかも?
 最近はなんでもありなので。)
 
 

2010年11月4日木曜日

 天は2物も3物も与え




 薬害肝炎事件の支援を訴えていたとき
 ある美人弁護士といっしょに
 公明党の太田昭宏前代表の部屋にうかがったところ
 「天は2物も3物も与えるねぇ。」
 とユーモアたっぷりに讃嘆されました。

 ①美人
 ②司法試験に合格し弁護士をする能力
 ③薬害肝炎原告らに寄りそう心
 彼女がこれらをもっていることをズバリ一言で褒められたわけです。

 さすが。
 (これで女性にもてなかったら嘘です。)
 とても勉強になりました。

 俳優・水嶋ヒロさんの処女作「KAGEROU」が
 「第5回ポプラ社小説大賞」を受賞。

 「齋藤智(さとし)」のペンネーム(本名は齋藤智裕)で応募。
 (つまり、芸名にたよらず実力で勝負)

 しかも賞金2000万円の受け取りを辞退。
 その理由は
 「多くの作品が生まれてほしい
 賞金をそのために有効利用していただきたい」。

 くーっ、かっこいいじゃないですか。
 美男の美談
 4物、5物を与えたまふのレヴェル。
 (これで女性にもてなかったら嘘です)

 「おみそれしました。」
 執筆活動をしたいという退社理由は方便だと思っていたので。
 (「独立は裏切りか自由か?」(10月13日)参照)

 もちろん、出来レースを疑う人もいます。
 話が出来すぎだというのがその論拠。
 (美談を勘ぐってみる人というのはどこにでもいるものです。)

 嫌疑をはらすベスト・エビデンスは水嶋さんの小説それ自体。
 尖閣ビデオのようにモタモタしないで
 一日も早くわれわれに「本物」を与えてほしいと思います。 

 9日まで秋の読書週間
 よい本と出会いたいものです。
 

2010年11月3日水曜日

 原点にかえる



 さきの土・日は地域事務所交流会でした。
 会場は二日市温泉・大丸別荘さん。
 120名くらいが参加しました。

 法律事務所はふつう裁判所のちかくにあります。
 でも紛争は裁判所のちかくだけで起きるわけではありません。

 80年代はじめ、いくつかの地域事務所が
 地域に根づこうと各地で旗揚げしました。
 わが事務所もそのような運動の一翼をになおうとしたものです。

 地域に事務所をつくったものの、分からぬことや課題も多い。
 地域事務所が寄り集まって文殊の知恵をさがすこととしました。
 こうして地域事務所交流会がはじまりました。

 わが事務所が交流会に最初に参加したのは1984年のこと。
 当時、弁護士1、事務局1の2人事務所。

 「法律事務所が地域にある必要はない。」
 当時、福岡市内の先輩弁護士から
 面と向かっていわれた時代です。

 地域事務所がどうあるべきか
 熱心に議論しました。

 25年が経ち、どの事務所もそれなりに年輪を重ねました。
 わが事務所も弁護士7、事務局11の18人体制に。

 人的・物的規模は拡充されたものの
 地域のみなさまのニーズに充分におこたえできているのか?
 
 茹でカエルにならぬよう
 原点にかえろう。
 そういう交流会でした。

2010年11月1日月曜日

【刑事事件-④】鹿児島の裁判員裁判、40日審理



落合です。

すっかりブログ御無沙汰しております。

今日は、B型肝炎訴訟の第11次提訴の弁論期日や、コンビニ-フランチャイズ訴訟の弁論準備期日が入っていたりして、何かと書けることは多いのですが、それらとは関係なく鹿児島の裁判員裁判の話題です。

さて、11月1日、鹿児島地裁で実に40日間にも及ぶ裁判員裁判(強盗殺人罪などの疑い)の「裁判員選任手続」(裁判の当日ないし前日あたりに実際に裁判に参加する裁判員を選任する手続き)があったようです。

40日間。
すごいです。

この40日間の裁判員裁判の話は、鹿児島で新聞記者をやっている友人がいるので、前々から聞いてはいたんですが、実際に40日間審理にあたる裁判員は大変でしょうね。
(むしろ裁判所は他の事件をどうするんだろう、という疑問もありますがそれはまぁさておいて)

40日間の審理の初公判は翌2日からで、17日まで計10日間審理して、5日には現場検証まで予定されているそうです。18日以降は評議に入る予定で、判決は12月10日となる見込みだとか。
(おそらく少しゆとりをもって日程を組んでるはずなので、評議がすんなり進んでいけば判決が早まる可能性もゼロではないのかな。裁判所はたぶん予定どおりの日に判決すると思いますが。)

それにしても、いくら国民に課された義務とはいえ、1ヶ月以上休ませてくれる職場がどれほどあるんでしょうか。公務員は休ませなければならないような指導があってるでしょうから良いとしても、中小の民間企業などは人1人が1ヶ月以上出勤できなくなるのはすごい痛手でしょう。

今回の裁判で、どういう人が選任されたのかはわかりませんが、どうしても裁判員の構成に偏りが出てきてしまうような気がします。
裁判員の方に日当が支払われるのは当然としても、今後の制度見直しにおいては、裁判員として長期にわたって人員を割かれる職場へのケアも必要になってくるのではないかと思います。それか、負担のかからないような日程を工夫するか、でしょうね。今回のようにハードな案件の場合は、連日開廷にこだわる意味はほとんどないんじゃないでしょうか。(裁判って土日はやらないのか、早く終わらせてほしいという裁判員経験者の声もあるようです。)

あ、ちなみに40日間審理などは、日本以外でも、例えばアメリカでも普通にある話だそうです。
時間にばかりこだわって、公正な裁判ができなくては、ましては冤罪を生んでは元も子もないですから、必要な審理は十分にやることは当たり前だと思います。

初めて死刑求刑された裁判員裁判(無期懲役判決だったみたいですね)より、個人的には制度の将来を考える上で、こっちの方を注目しています(被告人の犯人性が争われており、犯人であった場合、強盗殺人罪の法定刑は無期懲役か死刑のみなので、求刑や量刑も12月になったらマスコミで騒がれることになるとは思います)。

p.s.全然関係ありませんが、1日の昼ごはんは、赤坂のラーメン店『鈴木商店』の昼セット(博多ラーメン+餃子5個+とりめし)750円でした。

 「アイランド」



 きのう映画「アイランド」(2005年)をやっていました。
 ユアン・マクレガー、スカーレット・ヨハンソン主演。

 臓器移植のためのクローンらによる「人間」解放のドラマ。
 遺伝子工学・クローン技術、臓器移植と人権との相克(生命倫理)
 を物語りの機動ポイントとする点で
 カズオ・イシグロさんの「わたしを離さないで」(2005年)と共通しています。

 人権の歴史は、限られたお金持ちの白人男性からそうでない人々へ
 享受することができる人のすそ野を少しずつ広げていく歴史。

 クローンははたして人権享有主体性があるのか?
 憲法論・人権論としてはこういう問題設定になります。

 クローンたちはそれと知らずクローン製造工場で単純労働をさせられています。
 彼らを集団管理するための手段が夢の島「アイランド」への抽選チャンス。

 たとえクローンであっても、夢がなければ生きられない。
 淡い夢さえ与えられれば容易に管理されてしまう存在でもある。
 (福岡市長選がはじまり、やはりアイランドが争点のよう。)

 クローン技術の進歩に伴い、過去の記憶と好奇心をもつ個体があらわれる。
 それがユアン・マクレガー演じるリンカーン。
 過去の記憶と好奇心をもつことが夢をもつことより
 さらに人間らしい属性であることが主張されています。

 リンカーンは好奇心をフル稼働させて
 真実を発見し陰謀をあばき、自由への逃走をはじめます。

 こんなことを書くとまたお叱りを受けるでしょうが
 クローンが人間にほかならないことをわれわれに納得させるのは
 スカーレット・ヨハンソンの可愛さでしょう。

 「真珠の耳飾りの少女」(2003)
 「ロスト・イン・トランスレーション」(同)
 「ブーリン家の姉妹」(2008)
 どれも大好き。

 クライマックスでは、アフリカ系アメリカ人捜査官の反逆により
 ことが第二の奴隷解放であることが示唆されます。
 ここにきて、主人公の名がリンカーンであることの理由がはっきりします。
 (もっと早く気づけよ!と自分につっこみを入れつつ)
 
 リンカーンの元の個体はクローン臓器を得て再生を企図し
 個人ボートに「再生」号と名付けています。
 映画のラストでこの「再生」号で自由へ旅立つのはもちろんリンカーンたち。
 「再生」は意味を変え、クローンたちの人間としての再生を意味することに。

 奴隷解放の父、南北戦争の北軍指導者、共和党初代大統領の
 エイブラハム・リンカーンは生没年は1809年~1865年。

 坂本龍馬は1836年生まれですから27歳年下ですが、ほぼ同時代人。
 リンカーンも龍馬暗殺の2年前にやはり暗殺されています。

 二人とも人類の多年にわたる自由獲得の努力の犠牲者。
 大河ドラマもいよいよ終盤ですね。

 子どもが龍馬の伝記をマンガで読んでショックを受けていました。
 史実だから、暗殺がなかったことにはできないんでしょうねぇ。